結果が出る・・・? | パトリシアのカルテ

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甲状腺乳頭がんと闘うアラサー女子の日記

そういえば、先生にその「ひょっとして」という病名を聞いていなかった。


会社への説明も必要だし、何よりも気になるので、ネットで「エラ 首」とか色々調べてみた。



すると、「側頚のう胞」という名前が出てきた。



検査の時に首から液体を採取したように、大きくなったらその都度取れば、問題ないが、根本的には手術が必要らしい。



手術?



そんなの絶対嫌だった。



「首を切る」というのは、その言葉に色んな意味がある通り、切ってしまったら「終わり」な可能性もある。



だから、首の手術って言葉はとっても怖いものに感じた。



次、先生から手術を勧められたら、とりあえずはこのままで・・・・と回答することに決めた。






前回検査してから、一週間後。



一応、母も同席してもらうことにした。



相変わらずな無機質な部屋に入ると、担当医が代わっていた。



カルテを見る先生。



前回よりも若い30代の先生だった。



ちょっとした沈黙。



結論から話が始まるかと思ったら、前回の状況などを淡々と説明。



そして。



「あのー。始まりは風邪ということでこちらに来たので、状況が把握できないかもしれませんが、首から採取した液体、CTの検査結果、すべてを総合すると、エラの病気ではなく、甲状腺に異常を感じます。悪性の腫瘍の可能性が考えられます。」




悪性の腫瘍????



って“癌”ってこと!!???





初診の時もそうだが、医者はひょっとしての“病名”は患者を不安にさせるから言わない。




でも「悪性の腫瘍=癌」ってことだ。




その言葉の意味を理解した自分がいた。




「とりあえず、もっと検査をしたいので、今日は再度首から液体を採取して、血液検査などをしてもらいたいのですが。。。。。」




ということで、再度首から液体を取ることにした。


もう小さくなった首のふくらみから液体を取ることはとても難しく、注射針で吸われている感覚はとてもつらく、その後、一週間以上、首に違和感を感じるくらいだった。



それから血液検査。



いつもの血液採取部屋へ行くと、すぐに番号を呼ばれた。

よく見ると、担当した女性は、前回と同じ女性だった。



「実は前回も(あなたに)採取してもらったんですよ。」っと私が言うと、


「あら、そうだったのね!毎日何人もやっているから気付かなかったわ。今日はどうして血液を再度取ることになったの?」


と言われ、色々と今まであったことを話した。


すると、その女性は、


「実は私もね、悪性だか良性だかわからないけど、切ったほうがいいということで、去年切ったんだ。ほら!」


と、ネックレスをズラして傷跡を見せてくれた。



ネックレスと首のしわに沿って手術後が残っている。



「もし、手術になったとしてもあっという間に終わるし、傷もこんなだから安心して!」


と言われた。


なんだか、とても身近に感じられて、同じ「仲間」と思えて、その瞬間は少しホッとした。





その後、再度CT検査と、それに加えエコーも追加でやるということだったが、その日は受付時間を過ぎてしまったため、後日に行うこととした。






その日は金曜日。


東京に出てきてくれた母と一緒に、私は実家へ帰ることとした。



てっきり病院は早く終わると思っていた。



「側頚のう胞」という病名を聞いて、「手術は今のところは結構です。」と言って帰るつもりだった。



そして、帰りはお寿司を食べようと約束していた。




なのに、状況が変わってとても時間がかかってしまった。



病院を出た時には、食欲もすっかり無くなっていた。




とにかく心が不安でいっぱいだった。



「悪性腫瘍・・・」





その日はまっすぐ帰ることとした。



東京駅の地下でお弁当とビールを買って、満員のバスに乗り込んだ。



金曜日ということもあって、首都高は混んでおり、ゆっくり進むバスは隅田川沿いを走り、その先はキラキラとしたネオンが輝いている。



プシュっと開けたビールを口をつけ、そのネオンをボーっと見つめていた。



非現実のようなキラキラとした東京の夜景。



現実である私の病気。




私の病気を彼氏が知ったら、私を捨てるかもしれない。。。。


憧れだったハワイでの結婚式は行えないかもしれない。。。。


私は子供が産めないかもしれない。。。。


あと少ししか生きられないかもしれない。。。。




気がつくと、涙でネオンはボヤけていた。


涙が止まらなかった。


ようやく隣の母が気付き、持っていたティッシュをくれたが、それでも足りないくらい涙があふれてくる。


何を考えなくとも涙があふれてくる。



時折、「うぅ」と声が出てくるくらいに涙が止まらない。



満員のバスで、泣くことが恥ずかしいと思うのに、とにかく涙が止まらない。



こんなのは初めての経験だった。



私はとても不安でいっぱいで潰れそうだった。



その後も約2時間ほとんど泣きやむことはなく、実家の最寄のバス停で降りた。



もう11時を過ぎて、真っ暗な田舎。


海が近いこともあり、空気はとても湿気っぽい。


でもその湿った空気がなぜか懐かしく、気持ちをラクにしてくれた。



あーーーーーーー今日は疲れた。



そう思ったら、また涙が出てきた。



「いつまでもシクシクしてないの。」



いつも気丈な母の一言。



でも今日だけは、許してほしい。




泣きたいんだ。