何度言われてきたことでしょうか。

幼少時から高校時までは親や教師から。

社会人になってからは上司やお客様から。

そして、言われた通り目をみて話をすれば「なにジロジロみているんだよ?! 気持ち悪い…」と言われることもありました。

余談ですが、「なにジロジロ~~」ということを私に言ってきた方は、何人かいらっしゃいますが、(体感的な数字ですが)8割程の方が、私の一挙手一投足が気に食わないようで、それ以降ケチをつけつづけてくださいました。


現時点ならば、「普通の人たち」が「話をするときは、人の目をみなさい」ということにこだわっている理由は(頭で、だけですが)理解はできます(実際に実践できている、というわけではありません。一応理解できている今でも実践できていないことが多いです)。

また、これも最近分かったことですが、どうも「見過ぎる」というのはよくないようです。適度なタイミングで何度か人の目をみる、ということが、「人の目をみて話す」ということのようです。


ブログ「アスペルガーライフblog」 のなかに「なぜアスペルガー症候群者は視線を合わせるのが苦手なのか?」 という記事があり、ここでも「人の目をみて話す」ということについて触れられています。

この中に「視線や表情から情報が入ってこないから、視線や表情のアウトプットもまた苦手である」という記述がありますが、これはその通りだと思います。


他者の目(あるいは顔)をみて話をすることが苦手なので、表情という非言語的なメッセージをキャッチできないまま育ってきているので、TPOに合わせた表情を自分がすることができない、だから定型発達者からは「こいつ、何を考えているのかわからん」ということになるのでしょう。これも上記ブログ主さまの論考通りと思います。


私の思い(というか本音)としては、「こっちが人の表情にケチをつけていないのだから、そっちもケチをつけてほしくないなぁ。こちらはしゃべった言葉通りの意味しか念頭に置いていないから」というのがあるので、定型発達者が表情から非言語的なメッセージを受け取っていることは理解できても、なかなかそれに合わせた行動をとれないのです(できない言い訳、かもしれませんが)。

しかし、表面的に「人の目をみて話をする」ということができたとしても、それは所詮表面的でしかないので、相手が表情に込めている非言語的メッセージを読み取れない・読み違えるということになり、さらにケチをつけられる、という末路になるんじゃないかなぁ、と思ったりします。

だからといって、「人の目をみて話をする」ことについて、私自身がどうでもいいと考えているわけではありません。ありませんが、多分どんなに努力しても意外と早く「限界」が到来するんだろうな(せいぜい表面的な行動が身につくというあたりが限界かな)、とも感じている、というだけです。


このように定型発達者には自然に出来ることでも、アスペルガー者には出来ないことがあるのです(より正確に言えば、「定型発達者にとってはできているようにみえているが、それは決して非言語的メッセージをアスペルガー者が適切に読みとれているわけでは必ずしもない」といことです。これが誤解のもとにもなるのでしょうけれども)。


なんだか思考がまとまらなくなりそうですので、今回はこの辺で投稿を終わらせていただきます。