続・エフタの娘の話 | まいけるのおうち

まいけるのおうち

なんとか続けてます。

nonさん、コメントをありがとうございます。

ご紹介のサイトを見させていただいた感想を・・・・。



http://biblia.milkcafe.to/07-jg-11-40.html

↑によると「明らかな律法に反する約束は無効とまでは行かなくとも、緩和された約束へ変更されたと見なすのが妥当。『処女であることを悲しんだ』や『彼女は男と関係を持つことは無かった』という文章がわざわざ書かれていることからもそれが分かる」ということみたいですね。だからサムエルの時みたいに幕屋で一生奉仕したと考えるのが当たり前なのだ、と。



***上記サイトを引用します。***



また、「聖書に対する洞察」はこう述べています。



『ここで用いられているヘブライ語のターナーという言葉は,裁き人 5章11節にも出ており,その箇所では,『語る』(新世),「詳しく述べる」(欽定),「語った」(聖ア),「繰り返して語る」(改標)などと様々に訳されています。その言葉は,ヘブライ語・カルデア語辞典(B・デーヴィス編,1957年,693ページ)では,「繰り返して語ること,詳しく述べること」と定義されています。ジェームズ王欽定訳では,裁き人 11章40節のこの語が「嘆き悲しむ」と訳されていますが,欄外には「一緒に話す」という読み方が挙げられています。エフタの娘は聖なる所で他のネティニム(聖なる所での奉仕にささげられた「与えられた者たち」)と同じような奉仕をしたに違いありませんが,彼女にできる仕事は沢山ありました。それらの人たちは,薪を集めたり,水をくんだり,修繕作業をしたりしたほか,そこの祭司やレビ人たちを助ける者としてさらに多くの仕事を行なったに違いありません。―ヨシュ 9:21,23,27; エズ 7:24; 8:20; ネヘ 3:26。』



***引用終わり***



「違いありません」という言葉が2回も出ているように、これってあくまで想像ってことですよね? 聖書にはっきりとした文章としてかかれていないのですから。 それに「繰り返し語る」と言う意味なら、この場合「生前の故人を偲んで回想する」という意味に取るのが普通じゃないのかなって思います。



次に。前のユダとタマルの話とも関連するのですが、「この時代は実は律法が厳格に守られていたわけではなかった」と考えると話の辻褄が合うんですよ。人身御供は明らかに異教の習慣でした。もっとも酷い習慣だったと言っても過言ではありません。いくら戦争の極限の状態だからといって、それを禁止している相手とどうして約束しちゃうのか? 意味が分かりません。 律法が厳格に適用されることはなかった、もしくはほとんど忘れられていた、と考えるとそんな酷い約束であってもすぐに口から出てしまうと思えるんですよね。



別の時に書こうと思っていましたが、上のように考えるのは「おおいなるヨベル」(レビ25:8)について実行された記述が聖書中のどこにもない、ということがあるからなんです。50年ごとに「奴隷解放」「売却した土地は元の所有者に戻される」ということなんですが、そんな大きな出来事なのに記述が一度もないのは不可解です。この命令も守られることはなかったのでしょうね。都合が悪いからみんな無視してたのでしょう。また守らなかったことを神も容認してたわけですね。



JWを始め、ほとんどの教会では「ヨベルはメシアとしてのキリストの到来を型として描いていた」と解釈しているようですが・・・・。はぁ?ですよ。 神が直接モーセに守るようにと与えた命令なのに無視ですか? 当時の人ですら守ってなかったような命令(律法)を無理やり現代に当てはめて「輸血はしてはいけません」なんていうのは荒唐無稽としか言いようがありません。





【結論】<JWの解釈を元に。

エフタの娘の話から学ぶべきことは「人と大事な約束をしてても、後で守るのがきつい状況になったら自分に都合よく条件を変えて約束を果たしたことにしてもOK」ってこと。



例1)1000万円を返す期限が来たが、辛いので50円返すことでチャラにしてもらおう。だいたい今の自分に1000万円なんて返せることがないくらい相手だって分かっているはずだ。



例2)12時に会う約束をしてたけど、雨が降りはじめたから外に出たくないから止めよう。外出できるように着替えをしてるからこれでいいじゃないか。



エフタの娘が人身御供とされなかったというJWの解釈どうりだと↑みたいな結論に達するのですが・・・。いやどっちでもいいんですけどね。どっちであっても聖書がむちゃくちゃな記述が書かれていることに違いありませんから。



人身御供あった・・・・なんちゅー酷い話だ。

人身御供なかった・・・・神との約束をなんだと思ってるんだ。守れないような約束をしてもいいのか?



うーん、聖書って「本当は読ませたくない日本昔話」以上にひどい話ばっかりですよ。これのどこが道徳教育に役立つのだろう? 絶対に子供には読ませたくない本だと思います。少なくともR-18指定くらいはしていいんじゃないかなぁ?(笑)



神様が全知全能なら、こんな誤解を招く記述をさせないと思っちゃうんですけどね・・・・。