父、逝きました。そして葬儀も終わりました | 大府市|オカリナ・ピアノ・フルート|MAiCO 音楽教室|名古屋市・東海市・刈谷市・東浦町

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オカリナ奏者で、MAiCO音楽教室代表の西村麻衣子です。オカリナ演奏家として活動の他、名古屋市、大府市、東海市、刈谷市、東浦町周辺で、オカリナのレッスン(ピアノ・フルートも)をしております。

す2024年11月30日22時10分、父、そっと人生に幕を閉じました。

 

 



この日、午後のレッスンを、実家近くの生徒さんだったこともあって、実家で行っていたところ、13時20分に病院から呼出しがあり、レッスン中断で自宅から車で15分ほどの病院に走っていきましたが
「いよいよ最期を迎える方の呼吸の特長です」と伝えられました。

弟と弟の奥さんも、頻繁に来て下さる父の従弟も14時半ごろには集まって

顎を落として大きな呼吸をしながら眠り続ける父を囲んでいろんな話をしました。

そして、16時30分頃に一旦弟たちは帰り
私は21時の消灯前、20時30分過ぎまでおりましたが
徐々に呼吸は浅くなってきたものの、消灯で帰宅しないといけないとのことだったので、
やむを得ず実家に戻り、下着だけ着替えて化粧を落とし、父のベッドの夏物(入院は9月だった)冬物に変えて、
すぐ飛び出せる準備をし終えたとき、

時間にして21時45分前か、かなり呼吸が落ちて来たと連絡があり、飛んでいきましたが
22時前に呼吸が止まったようで、私が到着したのがその2,3分後。
まだ生きているのと変わらない体温のある時でした。

先生の診察で、22時10分臨終が知らされました。

涙は出ず、「頑張ったねえ」という言葉と、ここまで本当に父も頑張って頑張って頑張って生き抜いて、私も最期の瞬間は立ち会えなかったけれど、頑張って頑張って頑張って父に接してきたから
清々しい気持ちでした。

10分ほどお別れの時間をいただき

さーそれからが大変。

悲しむとか感傷に浸るなんて暇もなく
次々と追い立てられるように、病室の荷物をまとめ、
父はエンゼルケアで綺麗にしてもらって寝巻を着せてもらい、
葬儀屋に連絡をし(こういうのはあらかじめ決めていない場合は本当に大変でしょうね)
支度が出来たら霊安室に運ばれ

真夜中0時45分に病院を出発

 

深夜の打ち合わせ、
帰宅は4時

その日は枕経を13時から。
通夜はさすがに1日空けて、12月2日、葬儀は3日

そして今日は年金関係に手間取って(父は問題ないけど母が未受給の年金があることが発覚。たった三ヶ月バイトで厚生年金に入っていたらしい。)
実家に行った方が早い、と
気づけば夕方のレッスン時間ですっ飛んで帰りました。

ぼちぼちと、記録に残して行こうと思いますが

通夜も葬儀も雲一つない秋晴れ。
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天の采配、父の采配ということが次々と起こって、
とても良いお葬式でした。

葬儀はすべて父が指定した業者(瑞光メモリー)で、内容もお布施もすべて既に指定済み。
その予算の中で、

 

明るいお花にしてほしいと頼んだら、私の教室のイメージカラー。

よく作ってもらう色使い!
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父が集めた西国三十三か所のご朱印の枕屏風は、
虫干ししていた日に偶然実家に行っていて、「もともと死んだら枕経の時に枕屏風にしてほしいと言っていた」と聞いたことを思い出したため、葬儀場に持って行くことが出来ました!

 

これがとても立派で、「格安プランの祭壇」が豪華になりました^^

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おまけに、このプランではワゴン車だった霊柩車、内心ワゴンか~でもクラウン他界し、本人はもう生きているわけじゃないからわからんか、なんて考えていたら、なんとクラウンにグレードアップしていました!

父の遺影が、「シメシメ」と言っているように見えました。

戒名は「和月巽篤信士」わげつそんとくしんじ

月のような柔らかな輝きでみんなを和やかに照らすという意味があるそうですが

「和君」と呼んでいた9月30日に亡くなった、つい先日父と同じ病院に救急搬送されて、他界(病死)した、
父がすごくかわいがっていた甥っ子和君の月命日で

何も話していないのに、「和君の月命日」、「和月」という文字が入っていたのにはびっくり。

縁の深さを感じました。



そして今日も、父の遺影の前で、
「11月に差し歯がとれたのに、お父さんのことで忙しくて歯医者にも行けんかったわ」と呟いたら
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かかりつけの歯医者から「そろそろどうですか」という電話があってびっくりした、、、

父は終活優等生で、きちんと支度をしてくれていて、葬儀も助かったけど
それでもやることは恐ろしいほどありますね。

最後の看病に全力であたっていたこともあって、
もう、既にヘトヘトです。
みんなこれ乗り超えて来たんだなあ。。。

父のことを気にかけてくださいましたみなさま、ありがとうございました。

父の遺志で、何も受け取らないように、と生前からさんざん言われてきましたので、香典、お寂し見舞い、お供物、すべて辞退申し上げます。

父の遺影、生前に撮影しておいてよかったです。
この時、5月、既に体調が悪くなって2年、余命宣告されて1か月後でしたので、かなりやつれたなと思ったのですが

その後体重40キロを割るまでにやつれたため、
写真の父がとても父らしい笑顔に感じます。

いつも笑ってふざけているばかりの父が、
2022年に体調を悪くして以来、
ずっと笑顔を見てきませんでしたので、父の笑顔が張りのある声が、脳裏に浮かばなくなっていたのですが

久しぶりに父の笑顔と父の話し声が蘇ってきました。

 

父が大変だった時も、家に帰るとにかやんに癒されました。

今も癒されまくってます^^

 

 

おじいやんが玄関に集まる虫にキンチョール撒いているから、
真似しているらしい、笑