友人の余命宣告 | 憂目に咲く花になろう

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神様が私に子宮頚がんを与えました。この試練の向こうには、きっと大きな煌めきが待っている。
その強い確信と溢れる想いを、言葉と祈りに込めて。

このブログの中でも登場したことのある、同じ癌を患った友だちが、余命宣告を受けた。

余命…余った命。
命に、余りなんてあるのだろうか。
命は一筋の人の生き様であって
余すものなんてない。
うまく言えないけれど、その「余命」という言葉に憤りを感じています。

私がその立場であったら、
何を思って、
どのようにして生きるのだろう。
人は境地に立たされて初めて、
知ることもあるのだろう。
私が癌を宣告されたときに、大切なものに気づけたように、逆に言うと、そこまで追い込まれないと気づけないのが、人間の愚かさ。

昨日会見を行った、フィギュアスケートの羽生結弦選手の言葉。
「明日の自分が今日を見たときに胸を張っていられるようにこれからも過ごしていきたい」
健康で過ごせるうちに、この言葉のように生きられる人でありたいです。

決して、長生きだけが全てでは無いとは思うのです。どのように生きたか、を大切にしたい。

けれども、友だちには余った命ではなく、命そのものを生きて欲しいし、そう出来る友だちであると信じています。