寛解したものの、それを告げられた時は「やったー!」という喜びも薄く、そっか、という心の呟きでした。それは今も同じです。
もちろん良いことですし、主治医はじめ治療に関わって下さった皆様には感謝しております。
しかし、冷静に受け止めてしまうのは、きっと術後の身体が術前とは異なることと、やはり年に一度の検診を受けていたのにも関わらず、ここまで大きな事柄をしなければならなかったということかもしれません。
それと、これを機に知り合った闘病中の方々。
その方々を想うと、とても喜べません。
私よりも症状の重い友人が「おめでとう!」と伝えてくれたのですが、それを言わせてしまったような感覚が拭えないのです。
まだ気持ちが現実に追いついていないのでしょうか。
あの時に子宮を取って治療してもらって良かったと実感できるのは、歳月を得て生かされた意味に気づけた時なのかもかしれません。