猫が亡くなって、もう8日になる。可愛かったクリちゃんがいない。信じられないことだ。ペットはどうしたって人間より早く亡くなる。猫や犬と暮らした人なら誰でも経験することだろう。仕事もしなきゃいけないけど、記録として、クリちゃんのことを書いておこうと思う。
 (記録のため、長文になります。)


 クリは、ネットの里親探しのサイトで、わたしが見つけた子だ。誕生日は、里親探しに掲載した人が拾った日から逆算して、2003年11月1日生まれ、ということにしている。クリがうちにやって来たのは、先代猫が亡くなった、ひと月後のことだ。

 待ち合わせ場所の田園調布駅に受け取りに行くと、片手に乗るほど小さく、まだ猫の体をなしていない感じでまるでネズミみたいだった。まだ目も開いていなかった。先代猫の行きつけの病院が田園調布駅そばにあるので、すぐに連れていくと、お医者から「こんなに小さいと育たない」と言われた。拾った人の話によると、クリと他数匹の子猫はビニール袋に入れられて、新宿のゴミ捨て場に捨てられていたという。クリと兄弟たちは、間一髪でその人に拾われ、クリはウチにやってくることになった。

 わたしはスターバックスの紙袋にクリを入れて、田園調布駅から東横線で、ふた駅先の最寄駅まで行った。自由が丘駅で各駅停車に乗り換えると電車のベルが激しく鳴った。クリは音が怖かったらしく、ミーミー鳴いて凄い力で袋によじ登って出ようとするので、わたしは出ないようにクリの頭を押さえていた。目も開いていないうちから、すごく腕白坊主だった。

 それからクリは、育たないという医者の予想を覆し、どんどん大きくなった。でも、母猫が育てないといけないところを人間がやったので、至らないところがたくさんあった。舐めてあげられないのがいけないらしく、目が開くまで2週間もかかった。最初のウンチがなかなか出なくて便秘して右往左往した。クリはそれからずっと便秘がちな子になってしまった。それでも、みるみるうちに大きくなり、6.5キロのドラ猫くんになった。





 目がガラス玉のようにキラキラして、全身くまなく茶トラ。天真爛漫な子で床暖房の効いたタイル張りの床の上でねじりん坊ねんねもたくさんした。可愛くて可愛くて、しょうがない子だった。ゴミ袋に入れられて死の淵から這い上がったはずだが、変なポーズばかりして悲壮感のかけらも無く本当に面白くて可愛かった。

 名草戸畔本の顚末記で、2006年のある日、強化ガラスのデスクが割れて、猫が血尿を出した話を書いたが、その猫はクリのことだ。あのとき、クリは一体何を見たのだろうか。クリに聞いたところで喋れないし、ねじりん坊ねんねしてリラックスしてるだけだ。

 その後、2014年2月のこと。わたしはクリの住む床暖房のマンションから日野に引越しをした。制作をするために一人で籠るアトリエが必要になったからだ。いつまでも同じ環境にいても進歩があるとは思えない。クリは床暖房が好きだし、猫を養うことはまだできないため、泣く泣く置いてきた。それからクリに会えるのは月に一度ぐらいになってしまった。今となっては後悔しかないけど仕方がなかった。2014〜17年の終わりまで、クリは元気だった。ただ、便秘がちは変わらず、徐々によく吐くようにはなっていたけど。


 クリは、2018年のお正月を過ぎた頃から、少しずつ痩せてきて、春から夏ぐらいに腎不全とわかり、8月ごろから点滴を開始。その上、腎不全のほかに、腸が一部破裂してお尻に穴が開く大病をしてしまった。田園調布のお医者が見ても原因が分からず放置したところ、お尻の穴は自然に塞がった。下手に何もしなかったのがよかった。それから徐々に復活し、お誕生日の11月1日を乗り越えて15歳の誕生日を迎えた。名草戸畔本第三版の発売日の11月11日も乗り越えた。
 2018年は、月に2回ぐらいはクリに会いに行った。出来るだけお世話をしたかったけど、なかなか出来なかったのが悲しい。点滴はむずかしく社長が上手にやってくれた。


 7月の暑い時期はクリが1番弱い季節で、ちゅーるしか食べなくなり、痩せてしまった。玄関でしか寝なくなり、死に向かっているようだった。心配でたまらず、スーパーで栄養のあるちゅーるを見つけて食べさせてから食欲が復活。亡くなる直前までよく食べて、可愛く太ってきた。クリは生きたかったのだと思う。一生懸命食べて、目は鋭く力があった。嬉しかったけど、腎臓の機能は徐々に衰えていたのだろう。亡くなる1週間前ぐらいから、トイレが間に合わず、激しく粗相をするようになった。もちろん粗相は夏から始まってはいたけど、ここまでではなかったそうだ。

 10月に入ってからは、『貝がらの森』の入稿立ち合いや印刷立ち合いで頻繁に会社に行って、クリとも会えた。19日には本が出来上がり、会社に届いた。

 20日の夜、社長から、クリが立てなくなったと電話がきた。21日の夜行バスで名草戸畔の講演のため、仙台に出発する前日のことだ。
 今考えても不思議なのだが、社長から電話がきたときには、わたしは講演の準備と部屋の片付けをだいたい済ませていた。何故あそこまでスムーズにいろいろやっていたのか分からない。急いで荷造をして、最終電車に楽々間に合う時間に電車に飛び乗り、目黒に向かった。会社に着いたのは0時30分ぐらいだった。
 翌日、21日の13時すぎぐらいに講演の準備のため、コンビニにコピーに行っていたら、社長からクリが危ないと電話。まさかそんなに早いとは思わなくて昼間のうちに雑用を済ませようとしたのだ。急いで戻ってクリを撫でた。「安心していいよ、ずっと赤ちゃんのころとおんなじ暖かい毛布の上だよ、大丈夫だよ」と声をかけた。しばらくしてクリは、はあはあと荒い息を吐いてから、静かに息を引き取った。14時少し前だった。
 前日に立てなくなってから、あっという間だった。涙が止まらなかった。
 クリちゃんの15歳11ヶ月と21日の短い生涯が終わってしまった。

 クリは、わたしたち人間と同じだけ生きて一緒に天国にいけると思っていたのではないかと思う。自分が猫だと分からなかったのかもしれない。当たり前に生きられると思っていたのかもしれない。とにかく生きようとする気迫がすごくて、最後の2ヶ月はたくさん食べて太ってきたのだから、本当に凄い子だと思う。
 今はクリが居なくなって、まだ辛いけど、クリと過ごした時間を思い出して大事にしたいと思う。

 クリちゃん、本当にありがとう。あと少ししたら追いかけるから、待っていてね。


*この写真は、クリが亡くなる10日前の10月11日の夜。台風の前日。

2019年10月29日
クリちゃんのこと