自分が母親をやっていて、こんなことを言うのもなんですが、幼少期までの子どもにとって、母親は神様だと思います。

想像してみてください。
胎児の時、母親の子宮の中が、子どもにとっての宇宙でした。
心地よくて、暖かくて、耳が聞こえるようになったら、時々お母さんの声が聞こえる。
優しく愛情にあふれているときもあるし、なんだか悲しそうな時も、怒っている時もある。
お腹の中にいる時は、神様の声みたいに聞こえたんじゃないかな。

お母さんがすべての源で、お母さんの食べるもので体が作られて・・・。
母親ってすごいですね。
命を育むって、本当に神様と一緒ですね。

幼少期までは、やっぱり子どもにとってお母さんは絶対なんだと思います。

だからお母さんに叱られたら自分が悪いのだと思ってしまうし、
お母さんの望むとおりの子になろうと頑張ってしまう。
お母さんを幸せに出来ないのは自分が悪いと思ってしまう。
お母さんに教えられたこと、お母さんの価値観は絶対だと思ってしまう。

そういう視点で育児を考えると、母親にとっては従順な子どもを支配するのは容易です。
罰する神様になることが出来ます。

命令して、ああしなさい、こうじゃなきゃダメだといい続ける。
自分が望むとおりの子どもになってもらおうとする。
いやなことがあると八つ当たりする。

これは非常にまずいと思います。


わたしは育児をする時、子どもを支配してはいけない、と常々思っています。
お母さんも、実は完璧なんじゃなくて、間違えることもあるよ、と子どもに白状します。
間違えたと思ったらすぐに謝ります。
「お母さんはこう考えるけど、もし間違っていると思ったら言ってね」といいます。


わたしは「親の言うことは絶対だ」という高圧的な家で育ちました。
思春期になると、親が嘘ばかり言っていたことに気がつきます。
親の未熟なところを批判的に見るようになります。


神様(宇宙)って何なのか、という概念を持ち、そのあり方を母親が目指す必要があると思います。

神様(宇宙)は、何かを罰することがありません。
常に、あるがままを愛します。
(※宗教的な神様は罰しますね。生まれながらに罪人だなんていいますね。
 無垢な赤ん坊が生まれながらに罪人だなんてばかげているとわたしは思いますが)

キュウリに、わたしはトマトの方が好きだからトマトみたいになれ、なんていいません(笑)
ただ、キュウリがキュウリとしてきちんと育つように、エネルギーを与え続ける。

そんなにツルを延ばしてどうするんだ、もっとしゃんとしろ!なんてきゅうりにダメだししませんね(笑)

あなた素敵だね、みずみずしくておいしいよ。
たくさん実をつけてね。
黄色い小さい花も素敵だね。って言ってあげないとねにゃ

なんでキュウリを例えにしているかに、深い意味はありません(笑)

ただ命の限り、あるがままに、のびのび育ってほしい。
子どもにもキュウリにもね♪




キュウリの支柱、写真のものからちゃんと増強しました苦笑 (娘のすぐ隣)
環境は整えてあげなきゃね。