こんな夜は雷が苦手な彼女の事が心配で眠れなくなる
とはいえ家族と暮らしている彼女の元をこんな夜更けに訪れるわけにも行かず、布団を被って怖がっているであろう姿を想像しながら悶々としていた
その時
一際明るい閃光が窓いっぱいに広がり物凄い轟音とともに俺はどこかにふっ飛ばされた
「おにいちゃん、だ~れ?」
Tシャツの裾を引っ張られ目を開けるとパジャマ姿の小さな彼女が俺を見上げていた
「おまえ…」
「わたしのなまえはオマエじゃなくて…」
少女はやはり愛しい彼女の名前を名乗った
まさか、過去の世界に来ちまったのか?
辺りを見渡すと一時期居候していた彼女の家のリビングに間違いない
それにしても6月だというのにこの寒さはなんだ?
壁に掛かったカレンダーは11年前の12月
そして元いた世界と同じように夜の闇の中、雨音と雷鳴が聞こえている
照明のスイッチを入れてみるものの停電しているのか明かりは付かない
「今、ひとりなのか?お父さんとお母さんはどうした?」
「おかあさんおなかがイタくなっちゃったから、おとうさんとびょーいんにいったの。すぐにかえってくるからおるすばんしててって」
「お母さん病気なのか?」
「ううん、あかちゃんがうまれるの」
大きなクマのぬいぐるみを抱えた彼女は嬉しそうにそう言った
そうか
彼女の弟の誕生日は12月
11年前に生まれた時の彼女は8歳
産気づいた母親を父親が病院に連れて行っている、ということか
それにしても
「雷…怖くないのか?」
真冬の深夜、停電している家にひとりでいるだけでも怖かっただろう
ましてや苦手な雷がこんなに光っているというのに泣いていた様子はない
「だってわたし、おねえちゃんになるんだもん。わたしがないたらあかちゃんもきっとないちゃうでしょう?」
ずっと我慢していたのか大きな瞳に涙が浮かびぬいぐるみを抱いている小さな手が震えている
「そうか、偉いな。じゃあお父さんが帰って来るまで一緒にいてやるからベッドに戻ろう」
小さな彼女のいじらしい様子に胸を打たれ思わず抱き上げて部屋まで運ぶ
「おにいちゃん、どうしてわたしのおへやしってるの?」
「えっと、それは…」
返答に困りながら彼女をベッドに下ろし布団を掛けてやると、安心したのかすぐに眠ってしまった
暗闇の中に浮かぶ見慣れた彼女の部屋にはまだ机やドレッサーは無く代わりに大きなおもちゃ箱が置かれている
ベッドは今と同じ物だろうか
すやすやと眠る彼女を見下ろしていると、辛い記憶が蘇る
彼女に別れを告げたあの日、気を失い倒れた彼女をベッドに寝かせてキスをした
目の前で寝息を立てている無邪気で可愛い少女を俺はこの先何度傷つけ泣かせるのだろう
「いつか、必ず幸せにするから愛想を尽かさないでくれよ」
起こさぬようにそっと薔薇色の頬に唇で触れた時、階下で物音がして「ただいまー」と言う親父さんの声がした
まずい
慌てて窓から外に出ようとした時、再び雷鳴と光に包まれ意識を失い気がつくと自分のボロアパートの畳の上に転がっていた
「夢…?」
それにしてもリアルな夢だった
いつの間にか雨は上がり、窓からは朝日が差し込み始めている
今日はたしか日曜日
とりあえず朝飯もそこそこに日課のランニングがてら彼女の家へ行ってみる事にした
「あれっ?こんなに朝早くにどうしたの?」
驚いたことに家の前には白いワンピースに身を包んだ彼女が立っていた
「おまえこそ日曜日にどこ行くんだよ」
「えっと、その…会いたくなっちゃって」
「俺に?」
「う、うん。そっちこそどうしたの?」
「べつに用はねぇけど、ランニングして近くまで来たから…」
お互いに照れくさくて視線を合わせられない
「そういや夕べの雷凄かったけど眠れたのか?」
「あっ、それがね自分でもびっくりなんだけど気がついたら眠ってて全然怖くなかったの」
「へえ、珍しい事もあるもんだな」
「小さいころの夢を見たの、何か暖かくて大きな光に包まれてすっごく安心して眠る夢…でね会いたくなっちゃった」
「えっ?」
これは単なる偶然なのか、それとも夢魔のいたずらか
彼女が遠慮がちに俺の手に触れた
「この手に抱きしめられてるような感じだったから」
そう言って恥ずかしそうに目を伏せた彼女を抱き寄せると、夢の中と同じように柔らかい頬にキスをした
fin