昨日は、、朝からよなかまで「映画」と「ドラマ」に明け暮れDayでした。
我ながら呆れるくらい観倒した(笑)
まずは「劇場版相棒シリーズ」全作に「裏相棒」
間に「麒麟がくる総集編」
「オーマイボス恋は別冊で」
「おちょやん」
「復習するは我にあり」
BSプレミアムでの「おちょやん」を観て、寝ようかなと、思ったら
「復習するは我にあり」が始まったので、観ることにしました。
松竹映画が百周年を迎えるのですか?
WOWOWで松竹映画の特集をしているのです。
松竹映画の懐かしい名作が次々放送されるので
ついつい観てしまいます。
「復習するは我にあり」は、
実在の人物が起こした殺人事件を元に
佐木隆三さんが長編小説として発表。直木賞受賞。
その小説を今村昌平監督、緒形拳主演で映画化(1979年)したものです。
5人の人間を殺害して、全国を詐欺を働きながら旅する榎津巌(緒形拳)は、
クリスチャンの家に生まれながら、少年の頃から事件を起こしては
少年院や刑務所に収監されては、出所し
犯罪を悪びれることなく繰り返します。
5人殺害して、逮捕されても、後悔も悪びれることもなく
堂々と胸をはって死刑になった…
「復習するは我にあり」のタイトルは
聖書の中の一文で
罪を犯したものは神に委ねられる…というような意味なのでしょうか。
人の行動心理には興味がありますが
光があれば影があるように
人間は、善悪という二元性を意識するけれど
神は二元性を統一した一元的存在…とアタクシは思っています。
神にとっては「善悪」はなく、単なる現象として捉えられるのか…
道徳や倫理、人間としてあるべき姿、やってはイケないことなどの判断は
人間が決めたことなのだ…とまでは受け容れられられるけれど
イキイキと犯罪を犯す心理はわからない
わかるのも怖い…
だからといって、自分がまっとうな人間かともわからない。
理解できるのは「因果応報」という法則までかな…
佐木隆三さんは、「素晴らしき世界」や「復習するは我にあり」などの
実在の犯罪者を取材して小説にされているのは、
やはり人間の「影」の部分を、行動心理を知りたいのかな…
などと、勝手に思ったりもします。
さあ、今日も元気に参りましょう。
いつもご訪問くださりありがとうございますm(_ _)m(*^▽^*)

