G20開催の為の交通規制に

地元大阪人として最大限協力するという大義名分で、

大阪を脱出し、宇治を散策してきました。。。

 

 

宇治は伝説と現代の境目がよくわからない不思議な街です。

古事記、日本書紀、源氏物語、宇治拾遺物語、、、

書かれていることが、令和になっても変わってないところもあり…

歩いているだけで、神代の時代や、仁徳天皇の時代、

そして平安時代へタイプスリップできてしまいます!

 

 

現代でも宇治観光で最初に『宇治に来た!』と感じるのは、

おそらく宇治橋を眺めた時じゃないかなと思います。

 

宇治川にかかる橋で、車も常に渋滞しています…

伊勢神宮の五十鈴川に架かる橋も「宇治橋」ですネ

 

この宇治橋の中央に迫出しがあります…

正面に回るとこんな感じです…

 

ここ…

茶道の世界ではきっと皆さんが知ってる場所だろうと思います。

(僕は茶道を嗜んでおりませんので、あくまで勝手な推測です)

観光客は普通に写真を撮るために、ここを利用しています。

 

 

その昔…

公式にお茶を点てる時は宇治川から水を汲んだそうです。

少なくても豊臣秀吉の時代は、

伏見城へここから汲んで届けていました。

 

 

宇治とお茶の歴史をシンプルにおさらいします…

平安時代、遣唐使によって日本にお茶が伝来。

平安時代終期、古川右内が庵を結び、通圓を名乗りました。

…通圓は後ほど説明します…

 

鎌倉時代、お茶が宇治に伝わり、これが今の宇治茶の起源です。

室町時代、一休さんが通圓の看板を書きました。

 

安土桃山時代、千利休が茶道を完成、

先ほど書いたように、

豊臣秀吉は伏見城でのお茶会では

宇治川の水でなければならないということでした。

 

その水を汲む担当だったのが

通圓の11代目、12代目です。

その水を汲むための迫出しが、

現代の宇治橋にも存在するわけです。

 

 

さらに、宇治橋の東側に通圓という喫茶店のようなお店があります。

今の当主は24代目、正真正銘の歴史に登場する通圓です。

 

宇治は凄いです…

平安末期からつづく喫茶店で

お茶を飲んで、休憩できます!

 

通圓HP

http://www.tsuentea.com/

 

 

 

ちょっと前の昭和時代でも、

男と女の出会いのセリフは…

「お茶飲みに行かない?」でした。

この場合の決定権はあくまで女性でした!

…ここは大変重要な部分です…

 

平安時代から、宇治茶は男女を親密にする

魔法の飲み物だったのかも!!!

 

~~このお話は次回へつづきます~~

 

 

 

今日一日、怒らず、怖れず、悲しまず…感謝!