僕は毎朝大阪城を走ってます。
毎朝というと聞こえは良いですが…
雨の日は走りません。
仕事の予定で走らない時もあります。
前日呑み過ぎた場合は、走らず、歩きます。
なんだかんだで…
結局月に半分ぐらい走ってるのが正確な数字です。
日本史の教科書では大坂城は豊臣秀吉のお城と習います。
大阪冬の陣、大坂夏の陣で落城、そして徳川幕府が始まる…
そんな記述以降、大坂城は教科書には出てこないと思います。
大坂城は2代将軍徳川秀忠によって再建築されてます。
それもご丁寧に、
お堀も含めて秀吉の大坂城の基礎はすべてつぶして、
全く新しい大坂城を築きました。
以来、大坂城の城主は徳川歴代将軍です。
ただ、4代将軍から13代将軍までは、
大坂城を一度も訪れていません。
きっと大坂が嫌いだったのでしょう…
14代将軍家茂がやっと大坂城へやってきたのですが…
その時17才の将軍家茂は黒船に乗って江戸から大坂へ入りました!
ペリー来航から10年後です…
幕府も自前の黒船ぐらいは数隻保有するようになっていました。
そして15代将軍慶喜の時代になって…
大坂城は迎賓館の役割を担っていました!
フランス料理のシェフもちゃんと勤務しておりました。
開国を迫る欧米列強に対して、対話外交の舞台が大坂城でした。
アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、、、
それぞれの公使を、フランス料理でもてなし、対等に粘り強く交渉をし、
少しづつお互いを理解し、貿易関税、居住条件、商売の範囲等々
慶喜は大阪城でがんばって交渉をやりつづけていたのです!!!
画像が歪んではいますが、
15代将軍徳川慶喜です。
着ている軍服は、フランスのナポレオン3世より贈られたものです。
当時欧米列強は、武力をもって世界中を
自国の植民地にする活動に明け暮れていました…
しかし、日本は植民地されるとこなく、
平和的に国家を存続したまま、開国することができました。
これは徳川慶喜の外交努力の賜物だと僕は思いますが…
歴史の教科書にはその功績はどこにも書かれていません…
その外交の舞台が…大阪城だったのです!!!
そして令和元年…
再び大阪が世界経済の会議の舞台になりました。
な、なんと大阪城で晩さん会が執り行われるというお話です!!!
人の魂は、肉体が無くなっても活きていると僕は信じます…
世界に日本という国を誇示した徳川慶喜の謦咳の存する大阪城は、
未来へ向かう日本の気概を示すに相応しい場所だと僕は感じます。
そして…
幕藩体制が制度疲労を起こしていた頃、
大坂城迎賓館での外交で、
明治維新で文明開化が起こったように…
現代の状況も
大阪迎賓館の外交で
何かが起こるきっかけになるんじゃないかと…
密かにワクワクしてたりします!
今朝の大阪城…
入場規制で大手門前にも誰も人が入ってません…
いつでも必ず人がいるので、こんな写真は珍しいと思います。
今日一日、怒らず、怖れず、悲します…感謝!