映画『国宝』受け入れる側の物語 | 三匹の忠臣蔵

三匹の忠臣蔵

日々是好日。
お弁当ブログだった「お弁当にはたまご焼き」からリニューアル。
映画レビューを中心に、日々思いついたこと、感じたこと、趣味のことを書いてます。

Amazonプライムで配信されたので、やっと観ることができた。
おもなストーリーと最後に感想というかレビューを書いた。

家業が極道の家に生まれた立花喜久雄は、幼い頃に目の前の抗争で父親を亡くす。
父親の仇討ちに失敗した喜久雄は、上方歌舞伎の名門・花井家当主である花井半二郎に引き取られる。

半二郎には同じ年の実の息子・大垣俊介がおり、2人は血のつながらない兄弟、そして良きライバルとして切磋琢磨し、お互いを高め合いながら育つ。
しかし、『曽根崎心中』で喜久雄の圧倒的な「女形」の才能を目の当たりにした俊介は狼狽し、福田春江と共に姿を消してしまう。

8年後、師匠の半二郎は実の息子ではない喜久雄に跡目を譲ることを決断するが、俊介の母親は実の息子を差し置いての決定を快く思わず、喜久雄にも「身をわきまえろ」と襲名辞退を迫るが、半二郎の決心は変わらない。

そして跡目を譲る大事な舞台の最中、半二郎は吐血して倒れるが、喜久雄は動じず舞台を続け、三代目花井半二郎を襲名する。

父親の訃報を聞いて舞い戻った俊介は、跡目を巡って喜久雄と口論になり、喜久雄は吾妻千五郎の娘・七菜と出ていき、地方のドサ回りへと流れ、芸の道を細々と続けていたところ、三浦のはからいで小野川に呼び戻される。

その後、順風満帆だった俊介は病気で足を失い、車椅子生活となる。
彼は役者としての最後の命を燃やすため、喜久雄に「曽根崎のお初をやりたい」と言うと、喜久雄がその相手・徳兵衛を務めるという。
『曽根崎心中』こそが二人の原点であり、この演目を最後に俊介は解放される。

16年後、すべての因縁を乗り越えて「人間国宝」の頂点へと登りつめた喜久雄の前に、かつて襲名披露のパレードで追いかけていた芸妓・藤駒の娘が現れる。

ラストは喜久雄がこれまで背負い立ち向かってきた、”血”を巡る苦難を乗り越えてきた人生を、走馬灯のように映し出す舞で終わる。

 

 


 

 

「血統」「異物」「受容」の物語

歌舞伎=伝統芸能という題材なので、もっと血統礼賛の話かと思っていたが、実際はそれほどではなく、内容は想像通りやった。

基本的には血筋に恵まれなかった男が芸によって血統を超えていく物語なんだが、感想としては「喜久雄すごかった」というより、「俊介の方がしんどいやろ」と思った。

表向きは喜久雄の物語なんだが、私にはその隣で黙って耐え続ける俊介の方が気になった。
才能ある主人公を受け入れなければならなかった側の苦しみを描いた物語にも見えたから。

ひねくれた見方かもしれんが、李相日監督は血統を守る側にも理屈はあり、才能を認める側にも理屈はあるという感覚をもっていたかも。

喜久雄は「血統を持たない異物」で、血筋社会って、才能がない人間を排除するだけじゃなくて、才能がある部外者を受け入れる時にも痛みが発生する。

俊介だけ見ると、才能で負ける、だから家出する、すると跡目取られる、ハッピーと思ったら足を失う、そして最後の舞台で先に逝く。
だから物語上の試練の多くは「喜久雄をどう受け入れるか」で周囲が苦しんでる姿を追ってる。


李相日監督自身が在日朝鮮人として日本社会を生きてきたからこそ、こうした感覚が作品に滲んでいるのかもしれない。

一方の喜久雄に目を向けると、思い出したのが6代目笑福亭 松鶴。
落語界にも似た構図がある。
六代目笑福亭松鶴は本来なら実子に七代目を継がせたかったが、それは叶わぬまま亡くなった。
一方で筆頭弟子だった仁鶴も襲名を固辞し続けた。
血筋と実力、そのどちらを優先するのかという問題は歌舞伎だけの話ではないし、どちらにも痛みがある。

そして、喜久雄に降って湧いた出自のスクープ。
これは自民党の衆議院議員であった新井将敬を思い出した。

だから全く未知のテーマというより、どこかデジャブ感のある物語にも映った。

映像美も頑張ってて、特にラストの舞は見事。
ただ藤駒の娘を成人になって出すなら、もう一山あっても良かったと思う。

あと、知ってる役者が渡辺謙と寺島しのぶくらいで、主人公2人もまったく知らず、大きく月日が流れたあとでは「お前誰やったっけ?」となり、名前を呼ぶまで分からず、脳内整理するのに大変やった。
 

 

映画『国宝』のポスター