私はビートルズのファンです。
熱烈な、という形容詞が付くかどうかは微妙ですが、ファン歴は45年を超えました。
ビートルズのメンバーの1人であった、ジョン・レノンはグループ解散後のソロアルバムのタイトルにもなった「イマジン」 の歌詞に、天国も地獄も国境も宗教もないと想像したら世界はひとつになれると、戦争に反対し平和を唱えるメッセージを託しました。
自分なりのスタイルで平和を唱えた彼が、暗殺という憎むべき暴力に屈したことは何とも皮肉で悲しい出来事でした。ジョンが倒れてから30年以上の歳月が過ぎました。
彼は今、彼自身が存在しないと想像することを勧めたはずの「天国」にいるのだろうと私は信じていますが、天国から今の地上の現状を見下ろしてどんな心境でいるのでしょうか?
地球上のあらゆる場所での紛争は終息するどころか、次々新たな紛争が勃発する状況で、彼が祈った平和は残念ながら実現していません。
やはり、想像するだけでは駄目なのでしょうか?
プラス志向、マイナス志向という言葉があります。
物事をプラスに考えるとプラスの結果がもたらされ、マイナスに考えるとマイナスの結果がもたらされる。
このことは私の経験上、間違っていないと思うのですが・・・。
人類はこれまでも、想像することによって進歩してきたのではないでしょうか?
自分たちが住む地に果てはあるのだろうか?
人々は想像力を働かせて地の果てに思いを巡らせました。
やがて、自分たちが住んでいる場所が地球という球体であるという驚愕の事実を知り、船や飛行機の発明によって、それが間違いないことを確信しました。
そうなると次なる関心は、果たして宇宙はどこまで広がっているのだろうかということに移ります。
想像を逞しくして宇宙に関する知識を深め、研究した結果、ロケットや人工衛星、宇宙船を開発して夢だった宇宙旅行を実現しました。
人類を月に送り帰還させることに成功。無人の宇宙船を太陽系外に送り出すまでに発展させました。
1年前には日本も小惑星イトカワの微粒子を地球に持ち帰ることに成功。偉業を果たした宇宙船「はやぶさ」は映画にもなりました。
これらすべてが未知の世界を想像すること、人類の想像力が大きな役割を果たしたと思います。
昔は手紙が、遠く離れた人との情報交換の手段でした。鉄道もない時代、日本では飛脚が配達していましたから、手紙のやりとりには相当な日数を要しました。東京大阪間で往復に約半月は掛かったでしょう。
それが鉄道や車、飛行機等の交通手段の発達によって短縮が図られ、電信・電報の発明で飛躍的な短縮が実現しました。そして、電話の登場で瞬時に直接やり取りすることが可能となったわけです。
今ではメールが当たり前になり、ツイッターやフェイスブック等いわゆるSNSの発達で、情報の発信・受信手段は多様化の一途を辿っています。
昔は遠く離れて生きている人がどうしているのだろうかと想像して、その安否に思いを馳せるしかなかったのに、今ではたとえ地球の裏側にいる人とも衛星電話で話すことが可能ですし、宇宙飛行士とも交信出来るのです。しかも、映像付きで相手の姿を見ながら。
便利な時代になったものです。
しかし、その便利さを得ることによって喪ったものはないでしょうか?
あの人は元気にしているのか?今何をしているのだろう?どんなことを考えているのだろうか?
相手のことを心配し、思いを巡らせ、想像することによって相手の今を理解しようとしました。
しかし、今は電話でメールでSNSで相手の状況を確認でき、考えまで知ることが出来るのです。
もう想像する必要はないのです。
テレビの地デジ放送が開始されて3ヵ月になろうとしています。
テレビのない頃はラジオでした。
野球や相撲は今でもラジオ放送がありますが、私の子供の頃、テレビのない頃はオリンピックの体操やバレーボール、陸上競技、マラソンもラジオにかじりついていたのを覚えています。
目からの情報一切なし、アナウンサーの実況放送に耳を傾けて、自分の頭の中で状況を想像するしかありません。
けれども人々はみな手に汗握り、自分の頭の中の日本選手の晴れ姿に声援を送っていました。
家族全員でラジオドラマも聴きました。
耳からの情報は一種類ですが、聴いている家族それぞれの頭の中では各自それぞれが想像した人物が語っています。同じ風景や人物を共有できていたのかどうか疑問です。おそらく人数分の情景が存在していたのでしょう。おじいさんと孫の私とでは全く別の物語になっていたかもしれませんね。
けれども、テレビを観ているよりも豊かな時間を過ごせたように思います。
今のテレビは、ニュースにしてもドラマにしても、映像も美しく、音声も明瞭で、これでもかと言わんばかりに字幕(テロップ)が溢れています。至れり尽くせりですが、私には空虚な中身を豪華な包装紙で誤魔化しているように思えてしまいます。
視聴者は画面やスピーカーから溢れる情報をポカンと口を半開きにして受け取るのが精一杯。じっくり考え想像する余裕など与えてくれません。
心の豊かさを奪われたような気さえするのは、私だけなのでしょうか?
情報の洪水の中で生活しているうちに、自分で考え想像する余裕を失ってしまったように思えてなりません。
便利さと引き換えに喪ったものが想像力だと断言するのは言い過ぎかもしれません。
しかし、想像することは他人を思いやることと深い関わりがあるのではないかと思います。
他人の痛みを感じる能力や努力、想像力の欠如、喪失。
津波や原発、台風で被害を受けた人々の気持ちを踏みにじっていることにも気付かず、地デジ放送がその美しい映像や明瞭な音声を駆使して、国会中継やニュースでへらへら笑い緊張感のない政治家の顔を伝えるのを見せられるたびに、叫び声を上げそうになってしまいます。
ジョン・レノン。10月9日は彼の誕生日でした。生きていたら71歳。
老人というには若いでしょうが、どんな「老人」になっていたでしょう。
私は今後も「イマジン」 を大切な曲として聴き続け、想像力を大切にして生きていきたいと考えています。
