考えるヒント : 恐怖 | 哲人クニちゃんのブログ

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有為の奥山 今日越えて

浅き夢見じ 酔ひもせず


あさきゆめみしゑひもせす

6月が過ぎて7月になって数日過ぎました。
2018年も半分終わって残り半年です。

前半の半年でも自然災害や
世界情勢の大きな変化など
いろいろありましたが
これからも驚くような大きな出来事が
たくさん起きることになりそうです。

あれこれ思案を巡らせ
心を悩ませるようなこともあるでしょうが
いろいろ起きる事柄に振り回されず
落ち着いた心でありたいものです。

きょうの記事は
先月 6月 1日 ( 金曜日 ) の
『 心超臨界 』 というメルマガの
記事からの紹介です。

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戦前に比べて、人間の平均寿命は延びました。
ところが、長命ではあるものの、
脳の機能障害のために、
ただ生きているだけという
植物人間が新しい問題として生じています。
そのため、最近では、
植物人間になるのを恐れて、
自然死運動が起こりました。
私もまた、この運動に参加していますが、
現代人は死を恐れるだけではなく、
生をも恐れる傾向があります。 〔 松原泰道禅師 〕


死とともに、生をも恐れる現代人

 

『 わたしの般若心経 』

 
【 松原泰道、祥伝社 ( 1991 / 07 )、p268 】

 

人知では何ともならぬものを何とかしようとして、
そのつど人知が開発されて、
高次の人間になりました。
その一面、人知の開発に正比例して、
人知の及ばない部分が前面に立ちはだかります。
人間は進歩するにつれて、
迫害も受けなければならないのです。

『 旧約聖書 』 によると、
神の創った最初の人間の男女のアダムとエバは、
神の戒めに背いて知恵の実を味わったために、
楽園のエデンの園から追放されました。
それは、けっして聖書の創世記に限りません。
現代人もまた科学知識の実を食べて、
自然から追放された新しいアダムとエバの思いがします。
その罪の償いを果たす責務が、
私たちに課せられています。

仏教思想のうえからすれば、
この罪とは
「 足ることを知る ( 知足 ( ちそく ) ) 」
英知に反する罪です。
知足の英知は、人間にだけ与えられた高次の英知です。
知足の英知に反すると、
人間は満足を知らない
執着の囚 ( とりこ ) になって苦しむのです。

では、執着の牢獄から脱するにはどうしたらいいのでしょうか。
心経は
「 罣礙 ( けいげ ) するな 」 
こだわるな、執われるなと教えます。
どうにもならない事実を、
どうにかしたいと執着するから、
次から次へ思い悩んで、
精神的に果てしのない
無期の囚人生活を重ねるのです。

この難問を解決するには、
人間の力ではどうにもならぬ事柄を、
どうにかしようともがかずに、
どうにもならぬことは神でもいい、
仏でもいい、
人間よりも大いなるものにお任せするしかありません。
そして自分の力で、
できる範囲で精一杯生き抜くことに
努力しようではありませんか。

大いなるものに任せ切ると、
自然に自分に執われる
小さな我執 ( がしゅう ) が解けます。
我執が解けると、
誰かが、何かが
自分を支え守ってくれている事実に気づきます。

ことわざに
“ 天は自ら助くるものを助く ” とあるように、
自分で努力するものは、
神 ・ 仏とか、先祖とかの守護が肌に感じられます。
それは、私たちよりもスケールの大きな生命力が、
私たちに作用するからでしょう。


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「 心無罣礙 」
般若心経に出てくる言葉です、
「 しんむけいげ 」 と読みます。
心に罣礙 ( けいげ ) なし。
罣礙とは、覆い、妨げるもの
それが無い、
すなわち心に引っかかるものがない
何もとらわれのない自由な境地、
こだわりがなければ、恐れもなく、
安らかな心でいられますね。

おまけの画像は
そろそろ終盤のアジサイの花と
家の近くの海の様子です。

アジサイの花も7月に入って
そろそろ終わりです。
家の横の菜園に植わっている
アジサイの花、3種類。

 

 




 

 

 

家から歩いて 7 ~ 8分の
海辺の遊歩道から見た淡路島。

 

 




違う角度から写したもの
突堤の向こうに淡路島が見えます。




 

 

浜辺に出ると
明石海峡大橋の主塔が見えます。

 

 




海は波も静かで
風もなく穏やかでした。

 

 




おまけの動画は
ガロ 「 学生街の喫茶店 」
私が大学生のころは
7月、8月と2か月夏休みだったと記憶していますが、
今年の関西大学の学年暦を見てみると
8月2日から9月20日が夏季休業になっていました。
今と昔では期間がずれているのか
私の記憶違いかもしれません。

大学生のころは
お金もそんなに持っていなかったので
喫茶店には頻繁に行くことはありませんでしたが
この曲を聴くと学生時代のことを
思い出します。

 

 

 

 

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