「蹴りたい背中」を異常に読む③ | φ(´∀`へ)へ 死ぬまでに何か書いておこう!! (旧 窓際大学院生のたまには真面目に生きよう。)
2005年10月15日

「蹴りたい背中」を異常に読む③

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今まで、綿矢りさの「蹴りたい背中」に文句を書いてきたが、今日はその中に登場する「にな川」のオタク度を考えてみたいと思います。


まず、作中より作者がオタクとはこういうものだと考え、「にな川」に行わせている行動、あるいは特徴をまとめたいと思います。


性格が内向的だ

クラスに友達がいない

部屋が汚い。食べかけのパスタの上に、粉チーズの変わりのように、埃がかぶっている

女性ファッション誌モデルのオリチャンの熱烈なファンで、オリチャンに関するものを集めてボックスにため込んでいる。

オリチャンが座った(と思われる)カフェの椅子を写真に撮ったりする

オリチャンの顔写真を成熟していない裸の写真の顔に貼り付けている(ただし、これはにな川がマスターベーションに使用している形跡はない)

一時、熱狂()し、暴走する(内容に触れるため表記はしない)


概ね、以上のことが「にな川」をオタクとしている行動と特徴だと思われます。これをみて、「にな川」はオタクだと思われますか?


佐和は、そうは思いません。


まず、様々なメディアで

オタクは内向的

友達がいないと記述されますが、

これはです。


例えば、毎年、夏と冬にコミックマーケット、通称、コミケが開かれます。当初、コミケはアマチュア作家の同人誌即売会でした。

コミックマーケットの規模は回を重ねるごとに大きくなってきており、2004年夏に行われたコミックマーケット66の公式記録によれば、3日間東京国際展示場を借り切って、販売者35000サークル、参加者のべ51万人にのぼったそうです。

(ウィキペディアより)



当然、コミケにはオタクたちが参加しているわけですが、内向的で友達が少ない人間がこのような大規模なイベントを開く行動力があるでしょうか?


詳しく知りたい方は、こちらから

(ウィキペディアより)


他に、ガイナックというアニメ製作会社も、もともとはSFオタクの集まりでしたし、今もSF好きの人たちは、SF大会というイベントを開いています。


部屋が汚いのも、それで、オタクと断じることはできません。1020代の男性で部屋が綺麗に片付けられている人間の方が少ないです。


では、次に以下のことについて、考えます。


女性ファッション誌モデルのオリチャンの熱烈なファンで、オリチャンに関するものを集めてボックスにため込んでいる。

オリチャンが座った(と思われる)カフェの椅子を写真に撮る

オリチャンの顔写真を成熟していない裸の写真の顔に貼り付けている(ただし、これはにな川がマスターベーションに使用している形跡はない)

一時、熱狂()し、暴走する(内容に触れるため表記はしない)


さて、これだけで、オタクと言えるでしょうか?


確かに、オタクは一般の人に比べて、高い購買欲と収集癖を持っています。しかし、それだけで、オタクと言えるでしょうか?


これらを見て、「にな川」をオタクというよりは、気持ち悪い人間と思う人の方が多いのではないでしょうか?


つまり、作者の頭の中では、

オタク=気持ち悪い人間

という公式が出来上がっているために、

にな川をオタクと表記したとしか思えません。


おそらく、作者の周りには

オタクの人間はいないのではないでしょうか?


というのも、オタクの特徴の一つに、自分のことを客観視できるために、熱中はするけれども、熱狂はしないというものがあります。


これは、オタクが自分のことを客観視できる能力を持っていること(自分の恥ずかしいことさえネタに出来る能力)と、比較的学歴が高く、頭が良い(世界で一番有名なオタクは、おそらくビル・ゲイツ)という特徴のためだと思います。


さきほども書きましたが、コミケには3日間で50万人以上の人が来ます。それだけの人が一箇所に集まったら、普通、何らかの大きな事故が起こってもよさそうなものですが、幸い、今まで大きな事故は起こってなく、またイベントも中止になっておりません。

(イベントが中止にならないのは、バックに一族みんながオタクである天皇家がついているから、という噂がありますけど、ホントのところは知りません。おそらく、デマでしょう)


ですから、にな川のような感情に任せた暴走はしないのです。

オタクは知的好奇心が旺盛な温厚な人なのです。


「蹴りたい背中」に登場している「にな川」は、変な人間ではあるけれども、オタクとは考えられない、と佐和は思います。作者がにな川について、特別な感情もなくオタクと書かれているのならば、それは現在日本のオタクへの差別意識によるものではないかと思います。


ところで、オタクは知的好奇心が旺盛な温厚な人なのです。

と書きましたが、これに極めて、当てはまる民族がいます。


それが日本人です。

(当たり前か)


そもそも、戦後の焼け野原から、現在の高い文化水準をもたらしたのは、仕事中毒と揶揄された、仕事オタクだったはずです。

ですから、決してはオタクは差別すべきものではないはずなのに、この作者のように無意識の差別意識があるとしたら、とても怖いです。

(すべては某犯罪者とマスコミが悪いんです、と叫びたい佐和です)


最後に、ウィキペディアのおたく という項目に、面白い文があったので、引用します。


古くはインテリや勉強家(探求者)とされていた人間類型をもオタクと見なし、社会から排除または軽視する現象は、本来その知性によって、それぞれの分野の将来をになうクリエイターまたはよき理解者となりサポーター(出資者)として文化を発展させていくはずの人材に対し、マスメディアによって定着された「犯罪者・変質者として」のネガティヴなイメージを彼らに重ねることによって、若者社会の文化的結束から締め出し、理解しようとする方向性すら否定している…とも言える。そのことが日本の若者全体の文化水準を引き下げている事実は否めない。また、「理系」の層がオタクとみなされて嫌悪される可能性もある。その場合、排斥されることを避けるために理系の学問に興味があるにも関わらずそこから離れ、結果昨今叫ばれている「理科離れ」に拍車をかけることになりかねない。このような例は、すでに現実で起こっており、妙齢の女性が、結婚・恋愛の相手として理工系出身の男性を避ける傾向があることは、日本ではよく聞く話である。また、大学進学時期が異性への興味・関心が強い思春期に重なるため、男子生徒の中には意識的あるいは無意識的に、理工系学部への進学を避け、このような「恋愛差別」から逃れようとする者もいる。


他方ではインテリという言葉が現代日本において既に死語(廃語)になりつつあり、それらの人間類型を総じて否定的な視点でオタク呼ばわりする現象にて、現在の日本の若者の文化水準の危機感を垣間見ることが出来ると言えよう。このような否定的な視点は妙齢の女性の価値観にも顕著で、自分の嗜好に合わない外見・趣味嗜好をもつ男性に対して軽蔑を込めて「オタク」のレッテルを貼り付ける事で、社会的評価を貶め、更にこれら「文化的な牽引役となる可能性を含む存在」の排斥傾向が助長されるという現象を招いている。



(それにして、佐和が書いたこの文章って、ほとんど主観的な意見で、感想だなぁ。まっ、いっか。本の感想だし)

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