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2006年08月30日

帰ってきましたよ

テーマ:大学院生な日々

実家から帰ってまいりました。


そんなわけで、ブログの更新を再開する予定です。

その間、読者登録をしてくれた方、

ありがとうございます。


これをご覧になっている、

みなさま、以後もよろしくお願いします。

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2006年08月21日

佐和の旅(妄想編)

テーマ:大学院生な日々

ここまで、

何だかんだで、

文章書いてきたけど、

一日で一気に書くのって大変だね。


しかも、それがおそらく、少数の人にしか読まれないと思うと、なおさらやる気が減っていくよね。


ということで、

(どういうことで?)

旅に出る決心をしました。


予定としては、

理想の恋人(長い黒髪で、病弱な肌の白い10代の女の子)とめぐり合うために、全国の病院巡りをする予定です。


行く先々の病院で、

「キミ、入院した方がいいよ」

と言われないように、

病院の外から、双眼鏡で病室を覗こうと思います。


危ない人と思われて、警察に通報される可能性があるので、

マニュアルとして活用できるように

普通の本屋には売っていない、

日本共産党が発行している、

国家権力と戦う方法が書いてある本を手に入れたので大丈夫です。


けれども、弱気を挫き、強気に媚び諂う佐和は国家権力の前に膝をつくでしょう。

そんなとき、手錠をかけられても、すぐに外せるように、サーカスに入って修行する必要があります。デビット・カッパーフィールドや引田テンコウでもいいんですけど、ここは「からくりサーカス」読者として、サーカスに行くべきです。




けれども、サーカスに入った佐和は、モテないし、人付き合いも下手なので、先輩芸人たちに虐められます。



そして、ライオンとかの猛獣の餌やりを無理やり押し付けられます。

ライオンは、いつも餌をやる人じゃないと、佐和のことをなめて、かかってくるはずです。ちなみに、この「なめる」は舐めるという物の表面を、舌の先で触れる行為を指すのではなく、人を馬鹿にして無礼な態度をとることです。



動物にさえ見下されることに、昼食を一緒に食べてくれる人がいないときに感じるのと同等の自分は生きていてもしょうがないんじゃないかという気持ちが生じます。しかし、相手はライオンです。百獣の王です。ライオンに頭を噛み砕かれるのは、結局、佐和はライオンにお手をして、人間としての尊厳を失います。



そんなことが続き、佐和は精神を病み、病院に連れて行かれますが、そこには可愛い女の子は皆無、神のごとく振舞う看護士だけ、という現実を目の当たりし、自殺を決意するはずです。


ということで、旅に出ることをやめました。

佐和は危なかったぁ~。

あと少しで、自殺するところでした。






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2006年08月18日

バファリンと優しさ

テーマ:学問

そういえば、少し前にサリチル酸で誰かを毒殺したって、ニュースがあった気がします。


まぁ、このサリチル酸って、植物などに含まれていて、昔から治療に使われていたんです。けれども、副作用があったんで、改良されて、アセチルサリチル酸になったんです。高校生で化学をやっていた人は、ここら辺の化学合成をやったことがあると思います。あるいは、大学一年の基礎化学実習でやる有機合成の基礎として、やるかもしれません。


このアセチルサリチル酸って、もっと一般的な名前でいうと、アスピリンっていうんです。ダイハード3で、頭痛が酷かった主人公(二日酔いだったけ?)が飲んでいた奴です。


もしかしたら、アスピリンよりも、バファリンの主成分と答えた方が普通の人には、わかりやすいかもしれません。


バファリンの主成分はアセチルサリチル酸なんですが、TVのCMを見てますと、半分は優しさでできていると言っています。


当然ながら、コレは嘘です。

主成分はアセチルサリチル酸なんです。

バファリンのサイトでも、そう書いてます。

だから、優しさでできているはずがありません

誇大広告です

JAROに通告すべきです。

誰か暇な人はやってください。

佐和は、そんなことはやりませんから。


ということで、バファリンにはアセチルサリチル酸が含まれているわけですが、これって、大量に取ると死亡するんですよね。


例えば、佐和が某辞典で調べてみると、

アセチルサリチル酸のラットに対する半致死量は、

LD50(経口)1.75g/ kg

なんです。

つまり、体重が10 kgのラットは、17.5gのアセチルサリチル酸を与えると、50%の確率で死ぬんです。


ラットと人間を単純に比較することはできないけど、アセチルサリチル酸を多量に取るために、多量のバファリンを摂取すると死ぬんです。

(死ぬといっても、計算すればわかると思うんですが、まさしく死ぬような思いをして何百錠を一度に飲まないと死ねません。用法用量を守れば、何の問題もない、安全な薬です)



バファリンの半分は優しさでできているらしいです。

ということは、

行き過ぎた多量の優しさは、

人を殺すということがいえるのかもしれません。

 (なんかこの文章の終わり方、いつになく真面目だなあ)

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2006年08月17日

海外ドラマ「TRU calling」を異常に見る その②

テーマ:テレビ

海外ドラマ「TRU calling」を異常に見る その①

の続きから。



前回、主人公たちがやたら運命という言葉を使うことが気になっていると書きました。

何故、佐和が気になるのかと言えば、おそらく、それは死生観の違いだからだと思います。


有名芸能人が死ぬと、ワイドショーで告別式の模様を放送します。その中で、たいてい生前、故人と親しかった人が遺影に向かって、文章を読みます。

佐和はこの様子が理解できません。何故、すでに死んでしまった物体であるモノに向かって、声をかけなければならないのか?

欧米の人も佐和と同様で、この行為が物凄く不気味に映るらしいです。


その理由は

欧米などのキリスト教的な死生観は、

例えるならば、

直線だからではないでしょうか。



つまり、すべては神が創った。

人間も神が創った。

というある一点から、世界がはじまり、いつ来るかわからないけれども最後の審判まで世界が続く。神が決めて、行ったことは、決して、元にもどらない。

不可逆的な死。

そういう死生観を生きているのではないでしょうか?

(そういう意味では、半直線、あるいは線分の死生観ということができるかもしれません)



そう考えると、

「トゥルー・コーリング」で死者が声をかけるという行為は、極めて重いものになります。何故なら、神が決めたルール、つまり、不可逆的な死をないことにしてしまうからです。

主人公は神と同等の力を持ってしまうからです。

(キリスト教において、神と同等になるという発想はタブー)


そのため、やたらと運命という言葉を使用しているのではないでしょうか?

ということを考えたけど、違うかなぁ?


ちなみに、現在の日本の死生観は

東洋的なもの(円の死生観)

西洋的なもの(線の死生観)が混じって、

歪んだサイクロイド曲線のようになっていると思っています。


まぁ、そんなわけで佐和はエリザ・ドゥシュクの走ると激しく揺れる胸を見ながら、そんな死生観について考えたんだ♪


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2006年08月16日

海外ドラマ「TRU calling」を異常に見る その①

テーマ:テレビ


海外ドラマの「TRU CALLINGという番組がちょっと前まで、佐和の住んでいる地域のテレビで放送していたので、見ていました。

(主人公のエリザ・ドゥシュクの走ると激しく揺れる胸を目当てに見ていたわけじゃないよ♪)

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簡単に内容を紹介すると、遺体安置所で働く主人公トゥルー(エリザ・ドゥシュク)死者からの「助けて」という呼びかけに応え、同じ日をやり直します。そして、死者を助けるというミステリ仕立てのドラマです。

(死者を助けるために、主人公はよく走るんで、胸が揺れる♪揺れる♪)


ところで、小説でもドラマでもミステリ仕立てのストリーでは、ほぼ例外なく人が死にます。何故、死ななければならないのか考えたことがある人いますか?


まぁ、ミステリ小説が好きな人だったら、一度は考えたことがあると思いますが、理由は死んでいないと困るからたと思うのです。


もちろん、物語上、人が死んだ方が盛り上がります。

謎解きなどパズル的な要素がない小説やドラマにおいて、いかに効率的に人を殺し、涙を誘うというのは重要です。

しかし、そういう意味ではなく、ミステリでは人が死ぬか、少なくとも意識不明じゃないと困るのです。


今まで読んだことがあるミステリ小説、あるいは見たことがあるミステリドラマを思い浮かべてください。

殺された被害者が死なずに、軽い打撲程度で済んだら、どうでしょう?


軽い怪我をした、

その被害者に聞けば、

犯人は、

すぐわかってしまいます。


だって、危害を加えられたときに、その人のことを見ているんですから。


もちろん、例外はありますよ。暗闇で襲われたとか。


ちなみに、最近の日本人の作家では、米澤穂信という方が、人が死なないミステリを書いてます。しかし、人が死なず、意識不明にもなっていない状況を物語の中でつくるのは、相当大変なようです。著書からその様子が伝わってきます。


ということで、

ミステリでは人が死なないといけないのです。

(いけないわけじゃないけど、その環境をつくるのは大変)


余談ですが、これはミステリと他のエンターテイメント系の作品との大きな違いのひとつだと佐和は思います。他のエンターテイメント系の作品では物語の都合上、人の死が要請されるのとは反対にミステリでは人の死(殺害方法なども含む)によって、物語が要請されます。

つまり、エンターテイメント系の作品では物語に死が束縛されています。しかし、ミステリは死によって物語が束縛されています。キャラクター視点で見れば、前者は世界によって避けられない死をもたらされますが、後者は死によって世界の方向性を決めるといってもいいかもしれません。


ちょっと、話が逸れたので、戻します。

ミステリでは人が死ななければなりません。


そのため、常に物語は、常に死という終わりから出発し、動き出します。


つまり、

被害者は誰? 

誰に殺されたのか?

殺されるべき理由は何?

というふうに、

すでに起こってしまった出来事に関して探るため、現時点から過去へと遡るのです。


ですから、ミステリでは被害者を救うということは通常は起こりえません。

それでも、被害者を救うとしたら、時間を遡るしかありません。

(ここら辺のいくら頑張っても救えないものは救えないというか、無力さというか、喪失感というか、そういうことを感じるので探偵小説からハードボイルドがでてきたのかなっていま、思った。単なる思いつき。まぁ、佐和の文章はほとんど思いつきで書いているけどね)


ということで、TRU CALLINGの時間を遡り、同じ日をやり直し、死者を救うというアイデアが面白いと佐和は思ったんです。


ちなみに、TRU CALLINGと同じく、主人公が同じ日を繰り返すという設定の小説に、西澤保彦の「七回死んだ男」があります。


西澤 保彦
七回死んだ男


ところで、佐和はこのドラマを見ていて、凄く気になっていた点があるんです。それは主人公たちがやたら運命という言葉を使うことでした。


けれども、佐和は休日にテレビで芸能ニュースを見ていて、何故、このドラマの主人公たちが運命という言葉をやたら使うのか、分かった気がします。


(続く)

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