彼女は3人姉妹の末っ子だ。 
 
 
父親が早期退職をしたためとても貧乏だった。 
 

「産む予定ではなかった」と母親に言われたことがあるわ、と笑いながら言った。
 
 
 
そして父親は姉を可愛がり
母親は兄を可愛がったため
私は拗ねていた、とも。 
 
 
 
彼女が産まれても
家計を支えていた母親は
当然働きに行かなくてはならない。


当時まだ赤ん坊でハイハイしていた彼女のお腹に紐をくくり、
危ないところにいかないようにして
仕事にでかけていた、という。


もちろん隣近所の人に
たまに見てもらったりして


今では絶対考えられないが
当時はそうでもしなければ
働けなかった。
 
 
 
そんなことも笑いながら話す。 
 
 

そう、彼女とは
私の母だ。 
 
 
 
私は母子家庭で、
母が小学校2年の時に離婚したため
養育費も貰わず
女でひとつで
大学までいかせてもらった。 
 
 
 
だけど、
そんな母を私は長い間嫌っていた。 
 
 
  
高校から反抗期は始まり
大学時代は家にも帰らなくなった。
 
 
帰っても母のいない時に帰り
また夜はバイトや遊びに出かけた。 



どんどん重苦しい家になり
ますます帰るのが嫌になった。 
 
 
 
あれはたぶん、今の旦那さんと付き合ってる頃か、


彼のおかげで仲良く戻りつつあるとき

母がある手紙の束を見せてくれた。 
 
  

それは、父と付き合うまえの
彼からの手紙だった。 

 
読ませてもらうと
とても紳士的で、そして熱い母への想いが綴られた心のこもったラブレターだった。 


 
女子ならば一度はそんな恋愛がしてみたいと憧れるような内容で


後で知り合った私の父親とその彼が
川べりで母を巡って殴る喧嘩までしたという。
 
 

ここまでくると
ほんとにドラマじゃないか、、 



なんとも言えない気持ちでその話を聞いた。 



結局母は私の父親と付き合うことになり
あの熱烈な手紙の主の彼とは
別れることになった。 

 

そしてーーー 



その彼だった人が
地元の新聞に、ある大きな会社の代表取締役として載っていた、と
母が言っていた。 



もし、あの時ーー


たられば、ではないけれど


もし、あの時父親でなく
その彼と結婚していたら、


ひょっとしてこんなにお金に苦労する人生ではなかったのかもしれない。 



それ以前に
わたしは産まれてこなかったけれど。 
 

母もまた
苦労して私を女で一つで育ててくれたから
ひょっとして幸せはもう一つの道にあったのかもしれない。 



でもーー 
 


今はたぶん幸せなんだと思いたい。 
 
 
 
棘のある言い方も
怒り口調の言い方も
人を褒めないところも


それが大嫌いだったけど
すべてひっくるめて
それは私そのもので


そんな母がテレビを見て大笑いしたり
孫と口うるさくやりとりするのも


とても平凡な日常だけど
私も一緒にいて楽しいから。 
 

母からやっと学んだことがたくさんあったと気づけたのは
私ももうすぐ50歳に近づいてきた
最近のことでした。