命はノンジュール | マドモアゼル・愛 オフィシャルブログ「水瓶座時代」Powered by Ameba

命はノンジュール

一年を現す漢字があるが、今年は何になったのかしら。私のこの一年を代表する言葉は何かな、、、と考えると、それはおそらく「ノンジュール」ではないかと思います。



ノンジュールとは、仕事量とは違うところに新たな命を生み出す根源の情報の自由存在点がある、、そんなイメージ。



札幌セミナーが10月にあり、とても印象深かったのですが、そこで土橋先生と話している最中にどちらからともなく出ていた言葉がノンジュール。



もともと私は、働かざる者食うべからず、、、という言葉が嫌いで、仕事って何なのか今でも疑っている面が大きいのです。ジュール=仕事量、で人生を語ろうとするあまりに貧しい感性にはついていけないものがあり、知らないうちに今の日本は共産主義以上のジュール社会になりつつある。



仕事をしなければ生きていけない、、、お金を稼がなくては生きられない、、、という凄い信仰がはびこっています。



ジュール信仰と言ってもよい。しかし、根源の創造は、これとまったく反対で、ノンジュールにある。



ノンジュールに近づくに従い、むしろ情報は増大していく。一日、同じ笑顔で客に接客し、マニュアル通りに働けば、ジュール的には自給を稼げます。



ベルトコンベアーの前に立ち、流れてくる品を右に左にはじいていれば、品物の点数は時間と共に正確に増えていきます。



それをジュール量と言えるのかもしれませんが、果たして、ジュールで人生をとらえることなどできるのでしょうか。仕事量でそれ以外のものが測定できるのでしょうか。



何万時間働いた人の人生のほうが、何千時間しか働らかなかった人よりも偉いのでしょうか。幸せなのでしょうか。関係ないと思うのです。



そして、この関係ないと思う、、、というところまでは、おそらくどなたもそうだとお思いになると思う。



さらにそれを推し進めて、むしろ反対なのではないか、、、となると、ちょっと待てよ、、、と考えてしまうと思います。



私はジュールを少なくして、ノンジュールを増やした方が実は素晴らしいことに出会うと思っています。



決して、働く必要はない、、、というわけではないのですが、今の公害をひどく生み出すような状況では本当はノンジュールの生き方の方が、時代に対して失礼がないとも言える。仕事しない方が地球に愛されるかもしれない。



どうしようもない体に悪いものを売るより、作るより、まだ売らない方が、作らない方がよいはず。



そうなると、仕事をしているから偉いとは、してないから偉くないとは、簡単には言えない気はする。



昔、働かないで、歌ばかり歌っている人がいた。村人はその歌を聞きながら畑仕事をし、山仕事に精を出した。



そして村はいつも幸福だった。その村に新しい考えを教える旅人がいた。働かざる者食うべからず、、と。



歌好きは追いやられ、そして村もその後滅んでしまった、、、そんな話。



赤ちゃんも仕事はしない、、、わらったり泣いたりしていると、まわりが幸福になっていく、、ただそれだけ。



ジュールとノンジュール、、、実は、ものごとや現象の二面性なのだ。作用はジュールで計測され、ジュールで計測されたものには永遠はなく、必ず、山を作り、いずれ消滅していく。



それは反作用が働くからだ。作用に反作用、、、ノンジュールは反作用と関係する。そしてすっかり元に戻ったように無に戻るあらゆる現象。



その無にこそすべてが眠っていて、すべてがうごめいていて、質量のない無限の情報が行き来する魔法の入り口がある。



新しく命あるものはすべてそこから飛び出してくる。それはジュールの世界のやり取りとは違う。ジュールは金太郎あめの量産にすぎないが、無にもどる乗り物とはなる。人生もすべてそうである。



すべては過ぎ去り、すべては終えていくが、それを概念の無と捉えることもでき、永遠と一体化する夢ともなる。



なぜ、夢なのかは、まだ知らぬ実体との出会いだからだ。何が訪れるかは、創造の流れの中であらかじめ理解することはできない。無から訪れるプレゼントをあらかじめ知ることなどできないから。



ノンジュールを測ろうとすればそれは計測上の無であり、受け入れれば永遠の情報となる。死がまさにそうなのかもしれない。



たった一回、チューナーを叩く、、、これは作用となる。



音が鳴り、、ジュールの世界が現出するも、音はじょじょに小さく消え入るようになっていく、、、



そして無音の到来。ジュールで捉えれば無、ゼロ。しかし無音を受け入れればプレゼントが。



命なきものは滅びる。このジュールの世界においても、本当はこの世界を支えてきた実態はノンジュールにあったのだ。時給の積み重ねで、、ボーナスをもらう人々の仕事の積み重ねでこの世が支えられていたと思うのは誤解なのだ。



ノンジュールしかもっていくことはできない。形あるものは必ず滅びる。限界を、困難を、行き詰まりを、救ってくれるのはノンジュール。ジュールはノンジュールがあるからすごく意味が出てくる。



ジュール信仰だけでやれるものならやってみればいい。私は一抜けて裏表を使って自由になりたい。




大体、人は反作用がもたらすプレゼントを受け取る存在なんです。そのために何か作用することをやりなさい、、、ということで、やることそのものに意味があるのとは違うのです。やったことは、すべて無になっちゃうのだけど、それが新たなプレゼントをもたらすのです。




その意味で、今度は逆転しますが、無になろうとも、作用を起こすことが生きる意味ともなるわけです。


人生って、すごいよね。