ザク切り映画本 『仁義なき日本沈没』 東宝VS東映の構図で眺めた昭和日本映画の岐路 | シネマの万華鏡

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コロナ禍下で迎える2度目の春、3月決算の企業の決算発表がもうすぐ始まりますね。当初はコロナ自粛が1年も続いたら日本経済は持たないという見通しもありましたが、結果としては「総じて悪い」ではなく、くっきりと明暗が分かれました。

コロナ禍があらゆる人や企業の強みと弱みを炙り出すものだったとしたら、今年の決算には例年以上に企業体質が浮き彫りになっているはず・・・ということで、決算発表が始まったら、当ブログ初めての試みとして映画会社の財務分析をやってみたいと思っています。

その前に映画業界史を読んでおこうかとamazonで物色したら、こんな本が出てきました。

 

仁義なき日本沈没―東宝VS.東映の戦後サバイバル (新潮新書)

 

求めていた内容とはちょっと違ったものの、独自の視点で切り取った業界史ではあります。2012年出版。著者の春日太一氏は、映画史・時代劇研究家。

 

『仁義なき戦い』と『日本沈没』が日本映画史の分水嶺?

 

タイトルの『仁義なき日本沈没』は、『仁義なき戦い』と『日本沈没』という伝説的な2本の映画の名前からとったもの。『仁義なき戦い』は東映、『日本沈没』は東宝が製作して1973年に公開された作品、いずれも大ヒットを記録した、日本映画史に残る名作です。

この2本の映画のタイトルを合体させた本書のタイトルには、「日本映画の「昔」と「今」を隔てる境界線は、1973年にあるのではないか」、つまり日本映画の分水嶺を1973年に置く筆者の仮説が込められています。そしてまた「東宝VS東映」の視点から映画業界史を切り取った本書において、「東宝VS東映」の様相が最もシンボリックに表れたのが、双方が業績不振の中で打ち出したこの2作でもあるんですよね。

 

本書では東宝と東映に話題が絞り込まれているため、業界全体の動向を網羅的に追うものではありません。また、戦後の復興期から1973年までの2社の動向が中心になっており、21世紀の日本映画業界の状況とは少し断絶があるのですが、戦後の復興期から映画人口が低迷し、映画産業が斜陽に追い込まれていく中での、時代劇・任侠映画の興亡、東宝と東映の覇権争いの歴史に興味がある方には面白い本です。

 

クリーンな東宝と不良性で攻める東映

 

戦後、焼け残った二十数館の直営館で興行を再開した東宝が、撮影所の労働争議に苦しめられていた1949年、東急傘下で立ち上がったのが東映でした。当初は「東京映画配給」という配給会社で、同じグループの東横映画の配給網としての役割を担うべく設立されたもの。その後1951年に東横映画・太泉スタジオと合併して、社名も現在の「東映株式会社」になります。

 

劇場経営からスタートした東宝は、都市部の興行街に大劇場を持っていたため、配給・興行面でアドバンテージがあった。

一方の東映は、旧東横映画=製作会社が幹。後発のため劇場数の少なさが弱みだった。

 

この成り立ちの違いは、その後の両社の発展過程だけでなく、現在の社風にもしっかりとつながっている気がします。売れ筋を嗅ぎ分け、宣伝にも長けた東宝と、大衆娯楽路線のアクション映画製作にこだわる東映。紆余曲折はあっても、2社の軸足の置き方は変わらない・・・面白いもんです。

 

そんな2社が最初に競り合うことになるのが時代劇。

都市部に弱い後発の東映は、地方映画館をターゲットに、徹底した大衆娯楽路線の時代劇を量産します。「痛快・明朗・スピーディ」をモットーとするドラマツルギーと、殺陣やスターの美しさ・衣装で勝負。これが当たって、50年代には東映時代劇の黄金時代が到来し、年間80本の量産体制を確立します。今は映画村になった京都の撮影所はこの時代に拡充されたものです。

これに対して東宝は大作路線にこだわります。それが実ったのが、1954年。円谷英二の『ゴジラ』、稲垣浩の『宮本武蔵』、黒澤明の『七人の侍』という超大作を続々と発表。中でも『七人の侍』には当時としては破格の2億円の製作費がかかったと言われていますが、結果は大ヒット!以降黒澤映画はヒットを生み、世界で高く評価されていきます。

黒澤時代劇の出現により、東映時代劇は人気に翳りが出始め、60年代は東宝独り勝ちへ。

予算をかけた大作で勝負する東宝の体質はこの頃からのものだったんですね。

 

しかし、そのまま21世紀の東宝独り勝ちへとまっしぐら!というわけではありません。ここで東映に、危機を救う男・岡田茂(当時取締役、のち社長)が現れます。60年代半ば、東映時代劇の低迷から脱却すべく岡田が打ち出したのが任侠映画路線。

任侠映画路線は時代劇で培った殺陣の技術を引き継ぐ意味でも、東映向きの企画でした。

 

(『日本侠客伝』)

 

『博徒』や『日本侠客伝』などが大ヒット。高倉健や鶴田浩二が一躍任侠映画のスターの座に躍り出ます。岡田氏は任侠ものと同時にマル秘シリーズなどエロティック路線も売り出し、こちらも佐久間良子や藤純子・山田五十鈴など大スターで固めています。まさに「セックス&バイオレンス」の両輪戦略。

60年代後半から70年代初頭の日本映画界では「セックス&バイオレンス」が1つの潮流だったようで、こうした時代の流れに乗って、東映は大躍進を遂げます。

この頃の東宝は、『社長』シリーズや『若大将』シリーズなど健全路線のシリーズものを量産し、安定収入で稼ぐビジネルモデル。時代の流れに押されてついに70年代初頭には任侠映画に手を出す(『出所祝い』など)ものの、東宝の水には合わず、惨敗。アウトロー路線が熱烈に支持された当時、時代は東映に追い風、東宝には逆風だったようです。

苦渋の末に東宝が辿り着いたのは、製作部門の分離という選択。(この時分社された東宝映画株式会社は、現在は製作委員会方式の作品を受注製作しているようです。)

これによって、東宝はハイリスクの映画製作から手を引き、「売れる作品を配給する」という体質へと転換を図ります。これが1971年。

個人的にはこれが東宝と東映の財務体質を分けた大きな岐路だと見ています。

 

筆者の言う日本映画の分水嶺とは?

しかし、テレビの普及など娯楽の多様化による映画離れが映画業界に暗い影を落としていた時代。東宝から切り離された東宝映画が独立採算の軌道に乗るまでには紆余曲折があり、東宝は東宝映画の映画を買っては不入りに終わるという状況が続いたとようです。

東映は東映で任侠映画に翳りが出始め、72年には観客動員数が大幅減少。

そんな時に起死回生の一打として東宝・東映が打ち出したのが、73年の『日本沈没』と『仁義なき戦い』だったわけです。

 

『日本沈没』は、小松左京の大ベストセラーを原作に、東宝が『ゴジラ』で培った特撮技術を活かし、さらに脚本に当時の第一人者橋下忍を招いた、話題性だけでもはちきれんばかりの意欲作。

一方、『仁義なき戦い』は従来の東映の任侠映画路線を維持しながらも、広島の暴力団抗争を題材に実話ベースで仕立てた新機軸。任侠映画の経験もあり、業界内で注目を浴びていた深作欣二を監督に抜擢し、さらに脚本には東映京都のエース笠原和夫があたるという、こちらも盤石の体制で製作された、伝説の任侠映画です。

勿論いずれも大ヒット! 興行不振に悩む東宝・東映の救世主になったわけですが、筆者の言う「この2作が時代を分けた」という言葉の意味するところは、個人的にはすんなり入って来ませんでした。

どちらかと言えば、「製作部門を切り離し、売れ筋の配給に特化していく東宝」と、「あくまでも外連味で攻める製作にこだわった東映」という両社の姿勢がこの2作に象徴的に表れていると説明されたほうがすっと呑み込める気がします。そしてこの姿勢の違いが現在の東宝・東映の状況に真っすぐにつながっているのではないかと。

 

本書には全く触れられていませんが、東映は1950年代から子会社を通じてアニメ製作にも乗り出しており、時代劇・任侠映画が低迷し始めて以降は、アニメと戦隊ヒーローものを中心にした作品とそれに関連する版権収入が会社を下支える重要な収入源になっていきます。また、テレビ番組製作に早くから注力したことが経営安定に大きく貢献したことは、東映の現社長手塚治氏がテレビ畑の出身であることからも察せられるところです。

ただ、それでいながらいまだに東映は任侠映画を捨てきれない。2018年に公開された『孤狼の血』は、『仁義なき戦い』を彷彿とさせる広島の暴力団と警察の攻防、深作オマージュもたっぷり盛り込んだ、往年の任侠映画ファン垂涎の作品です。(今年続編も公開)

東映のwikipediaを見ると、他社のそれではありえないほど思い入れたっぷりに東映史が語られていて驚くんですが、過去を捨てきれない東映の姿勢は、ファンの思い入れの深さとも不可分の関係にあるのかもしれないですね。

 

一方製作部門を切り離した東宝は、自社製作の映画を自社系統の映画館に配給するというブロックブッキングシステムからも解き放たれ、外部から買い入れた作品を配給・興行するフリーブッキングに転換。売れ筋作品で集客性を高め、業界全体をフリーブッキングの時代へと導きます。

個人的には現在の東宝独り勝ちへの道はこのあたりから始まっていると思っています。

一度は低迷したゴジラ人気が息を吹き返し、世界のGadzillaになっていく過程も含めて、80年代以降の東宝史が知りたかったのですが、時代劇研究の視点で書かれた本書ではここまで。

東宝躍進の歴史についてはまた別の機会に書きたいと思っています。