大河ドラマ『麒麟がくる』8 今回は戦国女子の部 | シネマの万華鏡

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映画記事は基本的にネタバレしていますので閲覧の際はご注意ください。

(身分は違えど女子トーク!話題はもちろんあのひとのこと)

 

大河のお話の前に遅ればせながらのビッグニュースをひとつだけ。

日本アカデミー賞、『新聞記者』が最優秀作品賞に最優秀主演男優賞・女優賞のトリプル受賞だったんですね!! これは快挙!

優秀賞受賞だけでも日本アカデミー賞をだいぶ見直しましたが、さらに2割増しで見直しました。

レビュー記事にも書いたとおり、私はこの映画を鵜呑みにしちゃいけないと思ってるし、もっと政治批判作品として改善すべきところもあるとも思っています。でも、世の中が怖気づいている中で批判精神を捨てなかったことはアッパレ。それに報いるマインドがまだ残されていたことに救いを感じました。

これからも媚びない日本映画界であってほしいもんです。

 

ではでは、ドラマのお話へ。前回「男子ばかりで女子のお話がない!!」というご意見があったので、というわけじゃないですが(笑)、今回は戦国女子たちの話題で。

この時代の女性については史実としてわかっていることが少ないので難しいんですよね。。。

 

第8回「同盟のゆくえ」あらすじ

前回持ち上がった美濃の斎藤道三と尾張の織田信秀との同盟と、同盟の証しとして道三の娘・帰蝶(川口春奈)が織田信秀の嫡男・信長(染谷将太)に輿入れする話の完結編。

光秀の本心を試したい帰蝶に「大うつけ」と評判の信長という男を見極めてくるよう頼まれた光秀は尾張に潜入、浜で漁をし魚を売る信長の姿を目撃しますが、言葉をかわすことはできず。ただ「奇妙な男」という印象を持ちます。

帰蝶にどう伝えるべきか悩む光秀。

しかし母(石川さゆり)の「一番大切なのは国を守ること」という言葉に背中を押され、帰蝶に輿入れを勧めます。

政略の具になる宿命を半ば受け入れながらも、どこかで光秀が引き留めてくれることを願っていた帰蝶は、ようやくふんぎりをつけて輿入れを承諾。道三の待つ稲葉山城へと戻っていきます。

 

一方、腹がおさまらないのは、同盟に反対していた斎藤家嫡男義龍(伊藤英明)と稲葉一鉄(村田雄浩)ら美濃国人衆。さらに、道三・義龍親子の不和を煽る土岐頼芸を巻き込んで不穏な空気になりますが、光秀の説得でどうにかおさまり、帰蝶はいよいよ尾張へ。

帰蝶と2人、光秀への叶わぬ想いを語り合った駒(門脇麦)も、京へと帰っていきます。

 

今回こそは本格的に信長登場か?と期待しましたが、またも信長は殆どセリフなし・一瞬で退場でしたね。信長と光秀の初対面、え?こんなあっさり?みたいな。

映画のペースに慣れているせいか物凄く進展がスローに感じるのも気になるんですが、大河はこういうものなんだと、ようやく受け入れる気になりました。

大河ドラマは全50回弱、今回は1543年から始まって恐らくは1582年の本能寺の変までの約40年をやるわけですから、平均すれば1回につき0.8年分。これまで8回で6年をやっている・・・と考えると、計算上はばっちり大河ペース!

だんだん慣れてきました。

 

光秀の淡くせつないロマンス

歴史ドラマというよりも戦国ロミジュリ的なドラマ・パートがメインだった今回。

しかし今作の光秀、女性にモテますね~。

帰蝶が光秀に恋心を抱いていることは前回から見えてきたし、駒に至っては「思っても(身分違いでは)どうにもならない」と言いつつかなりぐいぐいアピールしていて、光秀の母親も絶対気づいてる。

 

しかし、光秀自身だけは見事にな~んにも気づいてないんですね、これが。

帰蝶への想いも駒に言い当てられてようやく自覚したありさま・・・自分を想っている女に別の女への恋心を言い当てられて初めて自分の想いに気づくなんて、鈍感通り越して残酷です。

しかも信長という人物に会って何も確信を持てなかったのに、帰蝶に「尾張へお行きなされませ」と言ってしまう。

 

知らず知らずのうちに帰蝶も駒も傷つけてる光秀・・・愛情があるから余計に罪深い。

このあたり、今のところボサボサヘアのカツラの下に本来の美貌を押し隠している長谷川博己の、どんなに隠しても内側から滲み出てくる男の色気が効いてくるところです。

そういう意味では、今回は今までで一番長谷川光秀がしっくり来た回だったような気がします。

 

光秀と帰蝶が互いに想い合っていたという設定は『功名が辻』でも採用されていましたね。濃姫=帰蝶役は和久井映見、信長が舘ひろしで光秀が坂東三津五郎・・・これは濃姫的にはかなり悩ましい三角関係かと。(今回が悩ましくないと言いたいわけじゃありませんので、念のためキョロキョロ)本能寺の変での濃姫の最期、なすすべもなく見守る光秀・・・ドラマチックでしたねえ。

光秀は、定説では戦国武将には珍しく側室を持たず、愛妻家で通っている人(妻・煕子は次回登場するようです)。だから余計に、実らなかった想いも引きずり続けていたのかも・・・なんて、想像してしまいます。

この設定1つで、本能寺の変が俄然いろんな意味を持ってきますね。

 

帰蝶は信長の子を産んだ記録もなく、いつ亡くなったかも分かっていない謎に包まれた女性。『信長公記』に輿入れの件は書かれているのでそこまでは史実と見做されているものの、大物戦国武将の娘で、かつ夫は戦国三英傑の1人でありながら、全く結婚後の記録がないというのも不思議な話です。

富田の正徳寺での道三-信長の会見の逸話や「美濃を信長に譲る」という道三の書状の存在から、道三と信長はウマが合ったことになっていて、そのイメージに引っ張られて帰蝶と信長も同志的な距離感でいい夫婦してたように描いた作品も多いのですが、これだけ記録がないとなると、道三という後ろ盾を失った後、急速にアウェイになっていく織田家で、孤独感の中で亡くなった可能性も高いのでは?

でも、『功名が辻』で描かれたように仮に帰蝶があの夜本能寺にいたとしたら、彼女は光秀の決断をどう受け止めたでしょうか。

 

戦国の女に徹する光秀の母

石川さゆり演じる光秀の母・牧を見ていつも感じるのが、彼女の抑制した冷静さ。

感情よりも自分の役割を優先して生きる、戦国の女の鏡のような女性です。

お駒が「京に戻っても戦さばかり、美濃に残りたい」と洩らした時も、「ここも同じですよ」ときっぱり彼女をはねつけているし、今回の帰蝶の輿入れ問題でも「国が一番大事」と、政略結婚に従うことを勧める彼女。

時代が時代だから仕方がない・・・でも、だからってちょっと冷たすぎない?と、現代の価値観から見れば批判の声も上がりそうなところです。

ただ、彼女の場合はそういう言われ方はされません。というのは、彼女自身が戦国の男社会の犠牲になる運命にあるということを誰もが知っているから・・・

そう、昔の大河なら、ここまで先読みできたんですよね。今はともかく、昔の大河なら。

 

光秀謀反の動機として、かつて必ず描かれていたのが母親の死のエピソードです。

それは光秀が信長の家臣団の中でもトップクラスの武将にとして脚光を浴びていた時代のこと、現在ドラマ内で進行中の時代から約30年後の1579年の丹波八上城攻めの時の話です。

 

八上城は当時波多野秀治の居城。信長に京から追放され、備後の鞆から反信長の指令を全国に送っていた足利義昭に呼応して、信長に抵抗していた波多野氏。信長は勿論彼を潰そうとしますが、なかなか八上城を落とせない。諸将が八上城攻めに難渋する中で、明智光秀がようやく和議の内約をとりつけます。

つまり、光秀の大手柄だった。

ところが、和議の証しとして織田方から光秀の母親が人質に出され、波多野氏が八上城を開城したところ、信長は非情にも波多野秀治らを処刑。激怒した波多野方が光秀の母を処刑した・・・という話です。

 

これが本能寺の変の3年前のこと、しかも波多野秀治が殺されたのが天正7年6月2日、本能寺の変が天正10年6月2日で、奇しくも同じ日付ですから、これこそ本能寺の変の動機だ、と誰もが思うでしょう。

 

ただし、これは『総見記』という軍記物が根拠になっていて、信頼性が高い史料には記述が見られず、今では創作の可能性が高い眉唾エピソード入りしています。

新しい光秀像を狙う今回の大河では、母の犠牲の物語は削られる可能性も大。

もしそうだとしたら、お牧の方は光秀の人生をどこまで見届けるんでしょうか? 戦国の女の生き方の厳しさを若い女性たちに説いてきた彼女は、いつか別の価値観に出会うのか?

牧の方の今後の運命、気になりますね。

 

斎藤義龍の母・深芳野が「悪女風」なワケ

ままならない世を耐え忍んで生きる女たちの中で、ひとり達観しているのが、道三の愛妾で義龍の母親の深芳野(南果歩)。

かつて美濃一と言われた美女。土岐頼芸の愛妾だったものを道三が所望して、頼芸から道三に譲られたと伝えられる、数奇な身の上の女性・・・しかし『麒麟がくる』では意外なほどサバサバしたザ・愛人気質の女として描かれています。彼女の登場シーンはいつも夜で、部屋にはむせかえるような濃密な女の香りと酒の匂いが漂ってる感じ。

頼芸から道三に譲られたことを特に恨んでいるでもなく、自分ほどの女を手放したことを後悔しているに違いない・・・くらいに思っているツワモノ。道三にもてらいなく媚びを売る。

義龍は自分の本当の父親は土岐頼芸ではないかとしきりに悩んでいるのに、唯一真相を知っているはずの母親の彼女が曖昧な答えしかしない。

深芳野は道三派なのか、土岐頼芸派なのか、とても玉虫色に描かれているんですよね。

 

実は深芳野は稲葉一鉄の姉妹という説もあり、だとすれば彼女が必ずしも道三の味方ではなく両睨みのスタンスを取っていることも頷けます。兄弟が道三を嫌っているんじゃ当然道三を信じるわけにもいかないでしょう。

ただ、今回の大河ではどうも深芳野を稲葉一族から切り離した存在として描いているように見えるのは、深芳野を稲葉氏出身としてしまうと、道三の正室小見の方(光秀の叔母で帰蝶の母)を出した明智氏と稲葉氏の対立が前にでてしまって、光秀が義龍とも親しかったという設定も難しくなるせいかな・・・とも思ったり。

 

今作が斎藤家父子対立の向こう側に描きたいのは、稲葉VS明智ではなく、守護を頂点とする室町幕府の地方支配体制とそれを壊す新興勢力の対立。

自分は守護の落胤だと信じている義龍が、室町幕府の体制をないがしろにする新興勢力・道三を駆逐する、その構図じゃないかと。

さまざまな場面で旧体制と新興勢力の激突を描き、その「筋目」と「筋目」の板挟みになった光秀の苦悩が本能寺の変へとつながっていく・・・そういう骨格を持った大河なのかな、と想像しています。

次回は今川-織田の戦さ? また男大河に戻りそうですね。信長カモーン!!