『彼らは生きていた』 色に祈りをこめて | シネマの万華鏡

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新型コロナウィルス感染拡大にともなう安倍総理のイベント等自粛要請で、なんと確定申告期限までもが1カ月延期に!!イベントというイベントは中止され、学校は休校に、会社は在宅勤務推奨に、春休み映画は上映延期に、その上にトイレットペーパー買い占め騒動!!と泣きっ面にハチもいいところの今週、皆様トイレットペーパーの在庫は大丈夫ですか?

政府は「品不足はデマ」と冷静な対応を呼びかけてますが、うちのトイペの在庫があるうちに買い占めが沈静化してほしい・・・

社会不安を煽る悪質なデマにはのせられないように、気を付けたいですね。

 

気を取り直して映画のお話にいきましょう。週末は『ロングデイズ・ジャーニー』とどちらにするか迷ったんですが、新宿でやっている『ロングデイズ~』は空いていそうな日に観ることにして、こちらに決めました。

 

あらすじ

第1次世界大戦の終戦から100年を迎えた2018年に、イギリスで行われた芸術プログラム「14-18NOW」と帝国戦争博物館の共同制作により、帝国戦争博物館に保存されていた記録映像を再構築して1本のドキュメンタリー映画として完成。2200時間以上あるモノクロ、無音、経年劣化が激しく不鮮明だった100年前の記録映像にを修復・着色するなどし、BBCが保有していた退役軍人たちのインタビューなどから、音声や効果音も追加した。過酷な戦場風景のほか、食事や休息などを取る日常の兵士たちの姿も写し出し、死と隣り合わせの戦場の中で生きた人々の人間性を浮かび上がらせていく。

(テアトルシネマグループ公式サイトの作品紹介より引用)

 

色に込められた祈り

 

正直ベースで言うと、戦争の記録映画に色を蘇らせたという本作の作品紹介を見た時、観たいという気持ちは全く起きませんでした。ただでさえ重苦しい戦場の映像、色がついたらなおさら直視するのが辛くなる・・・何故色なんかつけるんだろう?と。

でも、『1917 命をかけた伝令』を観た後、何かその「臨場感」のニセ物くささみたいなものが喉元にひっかかって、やっぱり本当の第一次世界大戦が観たくなったんです。本物の歴史の、本物のひとコマとしての戦場は一体どんな世界だったのかを。

結果、観て良かった。恐怖以上の、心揺さぶられるものがありました。

 

中原中也は戦争を「茶色い」と表現したけれど、カラーになった戦争の記録の第一印象もやっぱり茶色でした。

ただ、詩人の距離感で眺めた戦争と違って、本物の戦場は茶一色では終わらない。

『1917』と同じく塹壕の外の草原は緑。小さな花が咲いてる・・・そんな、凄惨な戦いの場に似つかわしくない日常の色もあれば、鮮血の赤も。フィクション映画と違って血糊じゃなく、失われた命そのものの赤。

そして兵士たちの、体温を取り戻した顔たち。

1世紀前の記録フィルム、それも第一次世界大戦の戦場という、ヨーロッパ人のトラウマとも言えるほどの惨劇の現場を映し出したフィルムに色をつける作業に一体何の意味があるんだろう・・・と疑問を抱えながら観始めた私ですが、観ているうちにその意味が分かってきた気がしました。

もはや忘れさられようとしている兵士たちの姿をなぞり、彼らの言葉を聴きとる作業は、そのまま、祈りそのものの行為ではないかと。

戦争の犠牲者への祈り、平和への祈り、命そのものへの祈り、戦争を嫌いながら戦争を愛する人間の矛盾への祈り。

監督のピーター・ジャクソンはこの映画の報酬を受け取らなかったそうですが、それも彼にとってのこの映画の意味を物語っているんじゃないでしょうか?

 

フィクション映画では描けない戦争の暗部

色がよみがえった映像だけでなく、たくさんの元兵士たち(皆第一次世界大戦の経験者で、戦後インタビューを受けた人たち)の肉声も、まるでつい最近収録したかのような瑞々しさ!! 後付けでセリフを付けたのではないかと一瞬疑ったほどです。でも、当然ながら違いました。もしそんな脚色が入っていたとしたらこのフィルムの全部が台無しになってしまいます。一言一句が映像の中の世界に身を置いた経験を持つ兵士たちの生の言葉だから意味があるんです。

彼らの言葉は映像の添え物ではなく、解説でもなく、むしろ映像以上にこのフィルムの臨場感を作り出していました。

 

第一次世界大戦は膨張する帝国主義の激突と民族主義運動の噴出が生み出したとか、飛行機・戦車・毒ガスなど兵器の発明によって戦争技術が変質したとか、そんな、この戦争を題材にしたあらゆるドキュメンタリー作品が語る通り一遍の俯瞰論を一切省き、ナレーション自体排して、現場の兵士の言葉の抜粋だけで全編をつないだ大胆な構成が素晴らしい。

そこに浮かび上がってくるのは、純粋に人が日々の営みとして人を殺す地獄としての戦場、兵士たちの内面に目覚めていく狂気。

「白兵戦には奇妙な歓喜がある」

ある兵士はこう語ります。彼はその歓喜を仲間の復讐ができる喜びだと言い、自分が何人のドイツ兵をどう殺したかをつぶさに語ります。別の兵士は、その歓喜を「殺戮本能」と呼ぶ。

捕虜は邪魔だ、捕虜を殺した者もいた、という証言もありました。

またある兵士は、上官の死体から望遠鏡をいただき、捕虜からは時計を奪い取ったと。「略奪は当たり前だった」と語ります。

助けを求める仲間を見殺しにした話もありました。

そして戦場には慰安婦がいたことも。

 

商業目的のフィクション戦争映画には描かれない戦争の暗部の最たるものに、兵士の中に芽生える非人間的な感情があります。そんなもの映画にしたら、シャレになりません。

戦争映画には欺瞞があるし、ともすれば綻びから噴き出しそうになる矛盾をかろうじて抑え込んでる。観る側もそれを呑み込んだ上で観る・・・そういう作り手・観客共犯の欺瞞に満ちたジャンルです。

なかでも、臨場感を売り物にする戦争映画は一番信用できない。『ダンケルク』も『1917』もしかりです。戦争で本当に恐ろしいのは、普通の人間が殺戮に目覚める狂気なのに、それを描かずに臨場感ってあるんでしょうか?

 

そういう戦争映画を観るたびに居心地が悪くてムズムズする感覚が、今作には全くありませんでした。淡々と、戦場の凄惨さ、兵士ひとりひとりの心を浸食する狂気、不衛生、死臭、どうしようもない空虚さを描いた作品だから。

反戦と言いつつどこかしらにお楽しみがくっついている戦争映画とは、全くベツモノと言っていい気がします。

 

戦争が始まった時は志願しなければ臆病者、みたいな空気があって、男になるために志願したのに、戦争が終わって帰国してみると、復員者は冷遇され、仕事もなかった、という話もありました。

必ずしもイギリスが関わる必要のない戦争に4年も関わったことで、勝利したとは言え、本国も疲弊していたのかもしれません。それともうひとつ、兵士たちが何も語らなくても、戦場で彼らが体験した出来事は、人間性の極北を経験したことのない人々との間に眼には見えない距離を作ってしまうものなのかも・・・

筆舌に尽くしがたい経験をした上に、戦後その功労を称えられることもなく疎外感を味わうことになるとは・・・最後の最後まで、一滴の甘さも加えない、本物の反戦ドキュメンタリーでした。

 

 

備考:上映館46館