デヴィッド・リンチ監督「マルホランド・ドライブ」(Mulholland Drive) | シネマの万華鏡

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◆ハリウッド・ドリームの光と影◆


ハリウッドを舞台にした2001年製作のノワール・ミステリー。

デヴィッド・リンチの難解作品の一つとして知られているだけあって、解釈にトライしたサイトも多いですね。

解釈に挑戦してみたい誘惑にかられなくはないんですが、公開直後ならいざしらず、製作から15年、鉱脈はすでに掘り尽くされた感が。

ということで、メインの謎に関しては名ブロガー様の解釈にのっかることにしました。


「ロスト・ハイウェイ」・「インランド・エンパイア」などリンチの他作品も同様、あるいはそれ以上にストーリー構成そのものが大きな謎解きの要素になっているミステリー作品だけに、あらすじを書こうとするとすでにそこに個人の解釈が入り込む恐れが・・・のっけから困難に直面。

これもリンチ映画ならでは。

しかし、敢えて書くとしたらこんな↓感じでしょうか?


舞台はハリウッド、ストーリーは微妙に不連続な前半部分と後半部分に分けられます。


①前半~新進気鋭のニューカマー・ベティ(ナオミ・ワッツ)の物語


女優になる夢を抱いてハリウッドにやってきたベティ(ナオミ・ワッツ)と、ハリウッドのマルホランド・ドライブ(地名)の車中で殺されかけたところを偶然の事故に命を救われ、記憶を失ったまま街をさまよっていた自称「リタ」(ローラ・ハリング)の物語。

ベティはオーディションで絶賛され、スターダムへの階段を着実に昇っていく傍ら、記憶を失ったリタのために彼女が過去を手繰り寄せる手助けをしようとします。

そんな中、リタが記憶していた「ダイアン・セルウィン」という名前の女のアパートを訪ねた2人は、部屋のベッドの上で死んでいるダイアンを発見します。

ショックを受けたリタを慰めるベティ・・・そうするうちに2人は距離を縮め、やがて同性愛関係に。




(謎の劇場「シレンシオ」で不思議な出し物を観るリタ(左 ローラ・ハリング)とベティ(右 ナオミ・ワッツ))

②後半~泣かず飛ばずの女優ダイアン(ナオミ・ワッツ)の転落の物語


ところが、ある不気味な劇場で不可思議な出し物を観た直後のシーンから、突然、ベティは泣かず飛ばずの女優「ダイアン」に、リタは多くの作品で主演を務める人気女優「カミーラ」に。

舞台は同じハリウッド、しかも2人が同性愛関係にあることは変わらないようなので前半と連続しているようにも見えますが、本人たちの名前が変わってしまっているのが前半と後半が不連続であることを示す決定的要素です。

カミーラに女優として水をあけられ、また、映画監督のアダム・ケシャー(ジャスティン・セロー)と婚約したカミーラに捨てられたダイアンは、逆上してカミーラを殺すようプロの殺し屋に依頼しますが、事が成った後精神的に追い詰められ、自殺。

ダイアンのハリウッド・ドリームは幕を閉じます。


普通に観れば、後半でダイアンが依頼したカミーラ殺害が、前半冒頭の彼女が殺されそうになるシーンにつながっているように見えます。

ただ、前半と後半で2人の女たちは何故別人になってしまうのか、何故2人の人生は逆転するのか―――ここは、観る側がなんらかの解釈を加える必要があります。

個人的には、どうも多数説であるらしい「前半がダイアンの(女優として成功したかったという)願望を反映した夢で、後半が彼女のままならぬ現実」という解釈を支持します。

(この解釈については樺沢紫苑氏の「超映画分析」 をご参照ください。)

いくつか違う解釈も可能かとは思いますが、これ以上複雑な解釈を加えたところで「ハリウッドの光と影の物語」という本作の芯の部分はゆるがない気がするし、この解釈で眺めるのが一番、本作の苦い後味が効果的に効いてくる気がするので・・・。


◆ハリウッドのヒエラルキーを象徴する2人の男◆


本作は、映画の世界での成功を志す人々にとっての夢の都であるハリウッドならではの成功と転落の構図を描き出した物語です。

決してリアルではなくデフォルメされた世界ではあっても、リンチが語ろうとしているハリウッド独自の空気―――映画界での成功者を頂点とする目に見えないヒエラルキーが支配する世界観―――は、とても生々しく伝わってきます。


例えば、この街のヒエラルキーの象徴として、人々に恐れられている2人の男が登場します。

一人はハリウッドの大奥にいる、闇のフィクサーであるらしい男。

映画の主演を誰にするか、製作をとりやめるか続けるか、すべて彼の思惑次第。これが、華やかなハリウッドの裏の頂点。
日本の映画界では考えられないほどの巨額の金が動く世界ですから、当然闇も深いことは想像に難くないところです。


そしてもう一人は、ハリウッドのファミレス・ウィンキーズの裏にいる男。

真っ黒い顔をしたこの男、「(毎日残飯がでる)飲食店の裏手にいる」ところからも、ホームレスを思わせます。

ダイアンの夢の中でこの男のことを

「怖い。夢以外で顔を見たくない」

と言う会話がありますが、これはダイアンの夢だということを考えると、彼を恐れているのはダイアンです。

何故、ダイアンはホームレスが怖いのか―――それは、明日の保証のない芸能界にいる彼女にとってホームレスというのは、明日は我が身、でも絶対にそうはなりたくない転落の極みだからじゃないでしょうか。

つまり、ウィンキーズの裏は、ハリウッドの俳優たちにとって、ハリウッド・ドリームの対極のある(しかしそれと表裏一体の)恐ろしい奈落なのです。


クライマックスで、ダイアンが持っていた青い箱が、このホームレスの紙袋の中に放り込まれるシーンがありますが、これは象徴的な場面。

青い箱にはいくつかの意味があるにしろ、この箱の内部の形を見る限り、これは劇場の象徴でもあるように思えます。

(ダイアンが作り上げた劇場である前半のシーンに登場した老夫婦がこの箱の中から飛び出して来ることを考えても、そういう解釈が成り立ちます。)

ダイアンの夢は最悪の形でハリウッドの奈落に葬られた―――このシーンはそう見ていいんじゃないでしょうか。



 

(ダイアン(前半ではベティ)のバッグの中から現れた青い箱。この箱を開けられる鍵を持っていたのはカミーラ(前半ではリタ)で、ダイアン(ベティ)ではなかった。箱の内部の形は劇場のステージに似ている。)


ファミレスの場面には、ホームレスの男以外にも、ダイアンと同じヘアスタイルで同じ名前(※)のウエイトレスや、ジャンキーな売春婦などが登場します。彼女たちが映画界を目指していた(あるいは目指している)のかどうかは分かりませんが、現実のダイアンは彼女たちととても近い場所にいるということが、伝わって来るシーンです。


ダイアンには、前半のベティのような注目女優になれた可能性もあったし、何かトラブルに巻き込まれれば一夜にして麻薬漬けの売春婦に転落しかねない―――ほんの僅かの差で天と地の開きが生まれるハリウッドという世界の現実が、ウィンキーズというファミレスを通じて描き出されています。


◆冥界のハリウッド「シレンシオ」◆


ハリウッド・ドリームの対極の世界と言えば、前半と後半の境目でダイアンとカミーラが訪れる謎の劇場「シレンシオ(Silencio)」(スペイン語で「お静かに」の意味)もそのひとつ。

この「シレンシオ」、現実のハリウッド映画界と対になった冥界のハリウッドとでも言うんでしょうか。

普通映画は映像に合わせて音楽をつけますが、劇場「シレンシオ」で演じられるのは、予め録音された音に合わせて動く劇・・・つまり、現実の映画とは反対なのです。

演じ、歌う役者たちは、実際は声なき人々

ここはこの世ならぬ場所、夢叶わなかった人々の情念が作り上げた、ハリウッドの闇の劇場でしょう。


それにしてもこの街の住人は、冥府でさえも舞台に立とうとするんですね。

彼らの演じることへの執念がまた、哀しみを誘います。


◆夢の世界の描写はリンチの真骨頂◆


長編デビュー作「イレイザーヘッド」はじめ、デヴィッド・リンチは潜在意識をネタにした作品を手掛けてきただけに、夢の中の世界の描写はお手のもの。

ダイアンの夢である前半部分はそういう意味でもリンチ作品らしさが炸裂していて、非常に楽しめます。


例を挙げれば、ダイアンがリタ殺害を依頼した男が、事件の情報を掴んでいるらしいエドという恐喝屋の男を殺す場面。

彼はプロの殺し屋のはずなのに、何故かやたらと手が滑って誤って隣りの住人を殺す羽目に陥り、それを目撃した掃除夫まで殺すことに―――挙句は火災報知器まで作動させてしまうていたらく。

これはまさに、夢でありがちな出来事です。

夢の中では現実でやったことがないことでも簡単にできてしまうこともあれば、(実際にやったことがないだけに)時としてどうしてもうまくやれずどうにももどかしい思いをすることがあります。

このシーンはそういう夢のもどかしさを彷彿とさせる面白い場面です。


後半のシーンではダイアンの恋仇・アダムの母親として登場するアン・ミラーは、前半ではダイアン(前半ではベティ)の叔母の家の管理人のココですが、彼女自慢の庭に落ちている犬の糞が映し出される場面が。

さすがに犬の糞に意味はないように思えるのですが、前半部分がダイアンの夢だとすれば、ここにも意味が生まれます。

夢の中ではココにとても好意的に接してるダイアン(ベティ)。

しかし、ダイアンの潜在意識の中にはアダムへの憎悪があり、アダムの母親であるココはアダムへの憎悪を呼び覚まさせる存在であるはずです。

そういったダイアンの憎悪が犬の糞という形で夢の中に転がり出た・・・と夢判断的に解釈すると、本筋には全く関係ない犬の糞の映像が俄然意味を持ってくるのです。

まあ、実際リンチがどう考えていたのかは、本筋に関係ない要素だけによく分かりませんけどね。


◆観客を迷い込ませる魅惑のラビリンス◆


これまでリンチの映画を一通り観て感じたことは、伏線とフェイクな情報が敢えて判別できない状態で散りばめられていること。

先に書いた犬の糞にしろ、一見非常に無意味に見える映像がいくつもあり、解釈する上ですべてのパーツを使い切ることは不可能なように思えてきます。

といって、拾うパーツと捨てるパーツを取捨選択しようとすれば、そこに観る側の判断が加わり、自分に都合のいい解釈がいくらでもできてしまうというジレンマが。


使えないピースを多数含んだジグゾーパズルほど、不安にさせられるものはありません。

どこまでが謎の答えに結びつく情報なのか知りたい・・・でも、リンチは作品の解釈に関してはノーコメントを通していますから、答えはリンチの頭の中以外どこにもないわけです。

観客を出口が見つからないもどかしさと不安に突き落とし、掻き回すのがリンチの映画。

ところが、その引きずり回される苦しみが、実はミステリーの醍醐味なんですねえ。

もしかしたらミステリー作家はSで、ミステリーファンは作家に鞭打たれたいMなんじゃないか―――少なくともリンチの作品を観ていると、そんな気にさせられます。


リンチの映画の解釈で絶対の正解はありえない・・・というのは多くの人が指摘していることではありますが、彼が目指しているのは、観客を迷い込ませるラビリンスの構築であるということ、これだけは確信をもって言っていい気がしますね。

※ このウエイトレスの名前は前半がダイアンの夢であることの裏付けになっていますが、同時にウエイトレスとダイアンの境遇の可逆性も感じさせます。


(青い箱以外の画像はIMDbに掲載されているものです。)

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