主夫マダホンの人をダメにするアフィリエイト

主夫マダホンの人をダメにするアフィリエイト

まだ本気出してない()マダホンです。会社を何のアテもなく辞めたものの、当時流行り始めていたアフィリエイトに取り組んだところ、初月から15万円の報酬が発生し…

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「マダホン君ね。コピペとか、ツールとか、自動生成文章とか、そういうスパムみたいなことやってるからダメになるんだよ」


はい。。。おっしゃる通りでして、ダメになりやした。けどね、仕方ないよ。私にはこのやり方しかできなかったんだから。


過去に、LFMという、凄腕アフィリエイターが集うアフィリエイト塾に参加したことがあった。トップの方は、アフィリエイト月収3千万という雲の上の人だった。


「商品名で上位表示なんて、道端に落ちているお金を拾っているだけ」と、いかにナンセンスかを説かれていた。入塾当時、商品名SEOしかやったことがなかった私のハートに、ロンギヌスの槍を突き刺されたのである。


稼げるジャンルで、ブルーオーシャンなキーワードを選定。サテライト記事にも関連キーワードを散りばめ、メインサイトへ自然な形でリンクを送る。ユーザー属性やサイト滞在時間がうんたらかんたら・・・うろ覚えで間違ってるかもしれないが、こんな風な正統派アフィリエイト方法の洗礼を受けた。


でも、私には無理だった。一番の問題は、人を雇わないといけないという点だった。サテライトサイトの記事作成などを外注して、自分はメインサイトの設計に注力するのが当たり前とされていた。そうしないと、一人ではやることが多すぎて時間が足りないアフィリエイト方法だった。


試しに、近所の学生さん一人にサテライトブログ作成を外注してみたが、メールのやり取りだけでもけっこう煩雑である。納品物のチェックもしないといけないし、修正を依頼するのも手間だ。初めての慣れない外注だったので、余計に大変に感じたのだと思うが、嫌だった。


アフィリエイトで年収1億円という人と話す機会もあった。オフィスを構え、従業員を雇って、一般的な会社のようなスタイルでアフィリエイト業務をしているらしかったが、「すぐに辞める奴ばっかり」と、こぼしていた。


煩わしい人間関係と、自宅外に長時間拘束されることが嫌になって会社を辞めた私。雇われる側ではなく雇う側だとしても、再び会社生活を目指す気にはなれなかった。アスペルガー気質な私にとっては、マイペースが最も大切なことだと気付いて、LFMはやめた。


市原塾というのにも入ったことがあった。こちらはLFMのようなホワイトハットSEOではなく、ブラックハットSEOを標榜するものだった。外注による被リンク量産の代わりに、自動化された被リンクツールを使うという点が魅力的に見えたのだが、こちらも挫折。


キーワード選定という、最も重要とされる作業に時間がかかりすぎるし、せっかく見つけたイケそうなキーワードでも必ず上位表示できるとは限らない。被リンクツールの料金も安くはないし、払い続けないといけない点が嫌で撤退した。


私にとって、理想のアフィリエイトとは、家で一人で可能な、単純作業の繰り返しで済み、サイト順位の変動を気にせず、メンテナンスをほぼしなくてOKなもの。贅沢三昧の生活は不可能としても、何とか会社員ぐらいの収入を得られる、気楽な商売として取り組みたいのである。


名付けて、人をダメにするアフィリエイト。いや、そんなフザけたこと言ってる場合なのか?マダホン。もうとっくに本気出さないといけない段階なのでは・・・

情報商材(インフォトップ)と無料ブログ・無料ホームページに頼りすぎたこと、他の、柱となるアフィリエイト方法を育てられなかったのが敗因。

 

一つ楽な稼ぎ方を開発した(移転先サイトで少し触れている)が、残念ながら3年ほどしか続かず。


まあ、まずいのは分かってたんだけどね。報酬が徐々に減ってきて、このままじゃダメだと思い、インフォプレナーへの転身を試みたり、せどりをやってみたり、はたまた好きな飲食の道を目指してみたり・・・


だが、いずれも花開かず、アフィリエイトに戻ってきた。そして、情報商材を買ったり、アフィリエイト塾に入ったりして知識を増やし、新たなアフィリエイト方法にチャレンジしたものの、報酬が持ち直すことはなかった。


もしかしたら、アフィリ以外の稼ぎ方にしろ、新たなアフィリエイトの道にしろ、愚直に1年とか2年とか継続的に取り組めば、そこそこの報酬は得られるようになったかもしれない。


しかし、どれもこれも、自分がこれまでやってきたアフィリエイト方法のように、すぐに成果が出ることはなく、早々と挫折。「いつか本気出して復活する」と妄想にふけるようになり、アフィリエイト活動をほぼ休止。


でも、遊んでいたわけじゃなく(≒言い訳)、育児を最優先にして、家事、妻・両親のサポートにも目いっぱい手間ひまをかける生活を続けること数年。


気付くと貯金がほとんど無くなっていた。今でも、燃えカスのようにインデックスが残っている無料ブログやサイト経由で発生したと思われるインフォトップ報酬がたまに入るが、焼け石に水である。


見かねた妻が、派遣社員として働きに出ることに。でも、妻の収入だけでは食べていけない。夫婦とも、実家が金持ちで頼れるなんてこともない。何とかしなければ。


私が働きに出る?いや、ムリムリ。資格や特別なスキルも無いし、勤め人としては15年以上のブランクがある。それに、なんてったってアスペなんだもん。まともな給料や待遇で雇ってくれるとこなんて・・・

前述の、コピペ記事×無料ブログ量産というアフィリエイト方法が通用しなくなってきて、2008年ごろから取り組み始めたのが、無料ホームページを量産して、SEOによるアクセスを狙うというもの。

 

当時は、無料HPサービスに登録するのに便利なヤフーメールアドレスが携帯電話番号無しで作り放題だったし、無料ホームページサービスもたくさん存在していて色んなドメインを使えたし、いい環境が整っていた。

 

また、一人で複数のアカウントを作って無料HPを量産しても、規約違反で削除されることはほとんど無かった。ちょっと被リンクを付ければ、すぐに検索エンジンにインデックスされたし、無料HPの運営側としても広告収入が増えるので、量産は黙認していたんだと思う。

 

最も多いときで、1万個以上の無料HPを持っていた。アカウント自動作成ツールの助けも借りたが、基本的には手動作成である。我ながらよくやった(≒時間を無駄にしたともいう)と思う。

 

ただ、量産といっても、全く同じ文章をアップロードするのは、さすがに当時の緩いスパム判定にも引っかかる恐れがあると考えたので、キーワードの入れ替えにより、異なる文章を生成するツールを使っていた。

 

この自動生成文章×無料HP量産というアフィリエイト方法により、インフォトップで2995万円、インフォカートで253万円の報酬を得ることができた。

 

サイト約1万個で約3千万円ということは、1サイトあたり3千円の報酬と少ない。実際には、報酬ゼロのサイトがほとんどで、一部のサイトだけが稼ぐ構図だったと思うが、記事を自分で書いていては時間がかかり過ぎるし、外注すると採算が取れなくなる恐れがあった。

 

上記の文章生成ツールなくしては成り立たない方法だったと思う。そのツールはとある縁で知り合ったアフィリエイターの方が開発したもので、ごく一部の人にしか販売されなかったらしい。

 

遅れて、楽天アフィリエイトでも、この方法を試したところ、すぐに月50万ポイント(基本的に料率1%なので月5000万円の売り上げ)を獲得できて歓喜したのを覚えている。過去データが参照できないので正確な数は不明だが、その頃は1日2000クリック以上あったと思う。

 

しかし、楽天アフィリエイトの量産を始めてから、そう月日が経たないうちに検索エンジンに対策されてしまい、インデックスがことごとく減少。この手法は終焉を迎えた。

 

現在は、チャットGPTによる文章作成サービスがあるが、これもいずれ対策されるだろうし、また、基本的にサブスクだったり、利用回数に制限があったりするのが嫌なので私は使っていない。

2007年8月初め。

 

インフォトップの管理画面を開くと、販売価格約7万円、アフィリエイト報酬約3万円の、FXの情報商材が売れていた。

 

これが私の初めてのアフィリエイト成果。

 

前年に会社員を辞めて、当時無職で何か収入を得る方法は無いかと模索中だった私は驚いた。

 

FXなどやったこともなく、知識も無かった。

 

FXの情報商材の販売ページのキャッチーな文言をいくつかコピペして、最後にアフィリエイトリンク貼り付けという、オリジナル性ゼロの記事を、適当に作った無料ブログに投稿しただけなのに成果が。

 

その頃のインフォトップが成果全承認であることを知らなかった私は、この3万円が本当に自分のものになるのかどうか不安ではあったが、自分のアフィリエイトリンクから購入されたことは確かであり、小躍りして喜んだのを覚えている。

 

それからというもの、「こんなやり方でいいんだ!」と、ほくそ笑んだ私は、無料ブログを量産して、あらゆるジャンルの情報商材のコピペアフィリエイト記事を投稿しまくったのだった。

 

すると、アフィリエイトを開始した初月の8月合計で約15万円の報酬。

 

翌月9月には約29万円と、会社員時代の手取り額を上回って有頂天に。

 

以後、月を追うごとに報酬が倍増・・・となれば万々歳だったが、そうは問屋が卸さなかった。

 

このアフィリエイト方法は、ブログサービスの新着記事コーナーからのアクセスに頼ったもの。

 

投稿量を増やしても新着記事コーナーのページに表示される記事数には制限がある。

 

他ユーザーの投稿も次々と押し寄せるので、自分の投稿が新着記事コーナーに留まって表示されてアクセスを呼び込める時間も限られている。

 

そして最大の問題が、内容の無いコピペ記事なのでリピーターを獲得できず、投稿を止めれば、すぐに報酬も止まってしまうということ。

 

それでも、頑張って投稿し続け、翌2008年には報酬40万円を超える月もあったが、この辺りが限界だった。

 

ただ、この単純な、ほぼスパムな方法でも、累計1572万円の報酬があった。

 

しかしながら、このアフィリエイト方法にはさっさと見切りをつけて、別の方法を見つけるべきであったなと反省している。

 

PC1台での手動投稿では手間も時間もかかり過ぎるので、途中からは、PCを複数台用意し、自作のマウスマクロによる自動投稿ツールを動作させていたが、それでもメンテナンスなどにけっこうな時間を取られてしまっていた。

 

なお、現在は、新規作成した無料ブログの投稿は、新着記事コーナーに表示されない(私だけ?)上に、情報商材が売れにくくなってしまったので、この方法で労力に見合う報酬を得るのは困難と見られる。