辞めてニートになった年にこの城(ラボ=ブログ)を開いたので

 

当時の論文(記事)にも書いたかもしれないけど、

 

新卒で大卒取ったことがない家族経営の会社を4ヶ月でやめたんだ。

 

自分でもびっくりするくらい合わなくて。

 

自分がADHDで人よりできない部分もあったし

 

この会社が異質だったこともあった。

 

会社が一番クソだけど、

 

母親も結構毒だったんじゃないかとも思うので書き記す。

 

 

今、無職で就活中だから、いやでも色々考えないといけなくて

 

色々考えた・・・というか思い出した中に1社目をやめたことが書きたくなった。

 

会社をやめた時の状況は

 

深キョンで最近話題になった適応障害の診断書を心療内科で書いてもらって

 

社長と社長の奥さん別室に呼んで渡して辞めますと、言ったんだ。

 

 

 

 

診断書もらっても会社に出してやめるか出さないで続けるか

 

病院行った日の夜は悩んだ。でも、心療内科に仕事休んで付き添いにきた母親に

 

「私は何のために今日仕事を休んで付き添ったんだ、早く診断書出してやめろ。」

 

と脅されて、出すことにした。

 

当時はほんと、自分で考えることができなかった。

 

そういうこと平気で言ってくる親に育てられたからこうなるのも察してw

 

自分で考えない、決断しないことがどれほど悪かったかは、

 

後々いろんな経験をしてわかったよ。

 

どうやってマインドコントロールといたかは、

 

そう言う過去の後悔や、心屋さんのブログとかそう言うので少しずつ解いていった。

 

自分の好きなことしたり、違和感に目を向けられるようになったり。
 

そうやって気付いたり、親への小さな犯行をしてみたり。

 

そして極め付けは断捨離かな。

 

2社目をやめて暇になったから断捨離本買ってやってみたら

 

親から買い与えられた服は全部捨てる方に振り分けられた。

 

親が買ったからじゃなくて、自分がときめかなかったからw(そう、あの本だよ)

 

私、服とか見た目無頓着なので親が情けで買ってくれてたんだよね。

20代後半まで自分で服買ったことほぼなかったんじゃないかと思う。

 

自分が買ってって言って買ってもらったものじゃなくってセレクトからして母親がしたものは

 

全くときめかず捨てた。そして、自分で選ばなきゃダメだと再確認した。

 

だから、自分で考えたいけど、子供の頃に考える癖や考え方を習わずきたから後遺症は今もある。

 

 

子は親を選べないな〜