江戸時代の浅草寺領について その11 | まっちー(machida-ito)のブログ

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江戸時代からの浅草寺領と諏訪神社の歴史について その11

 

左の表は享保年間(1716~1735年)の浅草寺領門前町屋の概要で、当時の町名主の名前も記載されています。

 

 

そして「北馬道町は浅草寺へ諸役相勤務」と見え、「南馬道町は浅草寺本坊境内の清掃諸役相勤」とあって、年貢の他にいろいろな用を務めるようになっていたことがわかります。

 

 

また、下の表は各町の石高を反別、更に当時の「家の数が記載されています。例を諏訪町にとってみると石高九石七百十二斗余り、家数二百八十七軒でありました。以上見てきたように浅草寺領内の町々には浅草寺に年貢や諸役を納める代わりに様々な商売を許可されていたのです。

 

尚、浅草寺十二衆徒の寺院であった松寿院と顕松院は明治中期に廃寺になっています。

 

また、寺僧と呼ばれた二十二寺も七寺が同じように廃寺になっています。

 

 

代表 まっちー音譜

 

株式会社 町田絲店 代表取締役

 

 

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