江戸時代の浅草寺領について その8 | まっちー(machida-ito)のブログ

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江戸時代からの浅草寺領と諏訪神社の歴史について その8

 

その後浅草寺の門前町町屋は万治二年(1659年)に大きく変わります。

 

それは江戸の発展繁栄と共に浅草寺に依ります。領主支配が行き届かなくなり、浅草寺は門前町の人別支配について江江戸の町々と同じように江戸町奉行支配にしてくれるように幕府に出願しこれが認められたのであります。

 

「往古地頭直支配仕罷在候處御府内段々御繁栄相成候付地頭支配不行届間御奉行所申上門前人々儀江戸町同様町奉行所御支配被成下候様万治二年相願候所願之通被仰付候」(文政寺社書上)以上のように「浅草寺門前町の一部は年貢が浅草寺へ人別は町奉行所が行う」という二重支配をうけることになったのであります。

 

そして更に三年後の寛文二年(1662年)十一月十四日の「撰要久録」という書に依るとこの時町奉行支配地に組み込まれたのが「浅草通りは日本堤迠、今戸橋迠、知乗院(浅草寺本坊の伝法院の前の本坊)門前之分不残」とあって「日本堤まで」と「今戸橋まで」と「知乗院門前の地域」が奉行所支配になったわけです。

 

「御府内備考」によればこの頃に町奉行支配になった浅草寺領内の町々が記されています。すなわち万治二年(1659年)に町奉行支配下になった西仲町と東仲町をはじめ知乗院門前の田原町一丁目から三丁目更に並木町・材木町そして浅草通りの南馬道町・北馬道町・田町・今戸通りの花川戸町・山の宿町・六軒町・金龍山瓦町・聖天町・新鳥越の各町々であります。

 

ただし駒形町・諏訪町は記載されていませんのでこの当時は町奉行支配ではなかったようであります。その理由については不詳であります。

 

代表 まっちー音譜

 

株式会社 町田絲店 代表取締役

 

 

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