江戸時代の浅草寺領について その6 | まっちー(machida-ito)のブログ

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江戸時代からの浅草寺領と諏訪神社の歴史について その6

 

浅草寺領内の田原町・材木町・三間町・八軒町・駒形町・清水稲荷・諏訪町については何時町屋になったかは不詳であります。

 

すなわち田原町=町名の起こりや年代は不詳で延宝図(1679年)には田原丁と三間丁との間にかみすき丁記載されています。

 

そして、材木町=古くは小浜宿と呼ばれていたようで竹木を扱う人たちが多く住んでいたので俗に竹町と呼ばれていました。

 

このあたりは舟渡しの場であったといいます。また専堂坊長屋があって昔はここに本地阿弥陀堂がありましたが、明和四年(1667年)に焼失してからは浅草寺の境内に移されたと記されています。

 

また、三間町については、三間町=町名の起こりや年代は不詳で延宝図(1679年)に田原丁かみずぎ丁と一緒に記されています。

 

次いでシミズイナリについては、シミズイナリ=元禄二年(1689年)谷中の法恩寺の上ケ地を拝領したが、御用地となったため元禄十七年、谷中の智光院の上ケ地を賜ったがまた御用地となって宝永六年(1709年)八軒町に替地となって稲荷社と共に引き移りましたと記されています。

 

駒形町については、駒形町=寛文図(1671年)にはこまかた丁とあり、駒形堂があってその左右にちややとあり。借舟ありと記されています。町内に古くから馬頭観音の堂があるので駒形丁と唱えたとされています。

 

 

そして諏訪丁については、諏訪町=寛文図(1671年)には、スワ丁と記され、町内に諏訪の社があるので町名となりました。浅草寺領で町屋になった由来は古文書が焼失したのでわからないと記されています。

そして、聖天町=寛文図(1671年)には、聖天丁金竜山本リウジとあり、延宝図にはまつち山と見え承応年間(1652~1654年)頃に浅草寺領となって町が開かれたといわれています。

 

代表 まっちー音譜

 

株式会社 町田絲店 代表取締役

 

 

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