江戸時代の浅草寺領について その5 | まっちー(machida-ito)のブログ

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江戸時代からの浅草寺領と諏訪神社の歴史について その5

 

次いで浅草寺領の西仲町・東仲町について見ていくと「御府内備考」に次のように記されています。

 

即ち西仲町の名主家は下野国佐野出身で関口大学之助が浅草寺境内の雷門左角のちに日音院となるところに住んでいました。

 

その後長男の久左衛門が慶長年間(1596~1615年)に当時中畑と呼ばれていた地に住み寛永三年(1628年)代官に任せられました。

 

その久左衛門は東仲町の稲垣喜平次の先祖で相模国小田原出身の庄左衛門と共にこの中畑の悔恨を出願し渡欧罪の中畑村を開きました。

 

その後二人は寛永十三年(1636年)に改めて同地の名主に任命され、寛永二十年(1642年)の検地のあと寛文五年(1665年)それぞれ東西仲町の町名主になりました、というのであります。

 

次いで茶屋町の頃には寛永十九年(1641年)本堂火災の後の正保四年(1647年)日除けの為に浅草寺の敷地が南へ六十間拡大したのに伴ってそれまで雷門にあった茶屋町が外へ出されることとなり、そのかわりに茶屋町の仁王門前に茶屋を営業することが認められたことが記されています。

 

代表 まっちー音譜

 

株式会社 町田絲店 代表取締役

 

 

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