江戸時代の浅草寺領について その3 | まっちー(machida-ito)のブログ

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江戸時代からの浅草寺領と諏訪神社の歴史について その3

 

浅草寺領の成立については天正十八年(1590年)徳川家康が関東に入国し、領国経営に取り組んだことによって与えられた領地であります。

 

中世から戦国時代において浅草寺地域一帯は豊嶋郡千束郷千束村と呼ばれ後北条氏の文献であります「小田原衆所領役帳」には「浅草寺家四拾貫九百文」と記されており、後北条氏より寺領として四十貫九百文の地が与えられていたことがわかっています。

 

その浅草寺に対して徳川家康は慶長十八年(1613年)三月十三日恐らく同じ地域に五百石の寺領が与えられました。その朱印状には次のような文言が記されていたのであります。

 

「浅草寺忠尊に寺領の御黒印を下さる武蔵国豊嶋郡(寛文五年の御印書には千束村とあり)寺領五百石のうち二百五十石は別当、修理料たるべし、衆徒の住坊に平僧みだりに住居すべからず・・・以下略「

徳川実記」

 

すなわち幕府は浅草寺に対し、寺領五百石のうち二百五十石を寺院の維持と修理費に充てることと坊内に一般の僧をみだりに住居させないこと、更に空地を勝手に管理下に置かないこと、寺院の法令を守ること、山林・竹木・門前宅地については先例(後北条氏の例)の通り諸役を免除する」というものでありました。この朱印状は次の二代将軍秀忠、更に三代将軍家光(寛永十三年(1636年)十一月九日)からも発給されていたのであります。

 

代表 まっちー音譜

 

株式会社 町田絲店 代表取締役

 

 

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