江戸時代の浅草寺領について その2 | まっちー(machida-ito)のブログ

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江戸時代からの浅草寺領と諏訪神社の歴史について その2

 

浅草の諏訪神社は諏訪大社上社と同じ諏訪梶の御神紋を使用し、文献に依れば天正年間に神主が数代に渡って奉仕してきたことが知られています。

 

即ち「神社明細簿」並びに「上野東照宮組合明帳」に「鎮座原由之儀 天正之頃 信濃国諏訪神社ヲ勧請仕候 詳細記録数度の焼失ニテ無御座候当社初奉祀 神官履歴 私先祖 信濃国諏訪郡小日村に居住 諏訪本宮二奉祀仕候ヨリ数代相続仕候 然ルニ天和之頃 当社 神官兼務但出仕 其後代々当社ニ奉祀罷候 御一新之際 旧神官ニテ引続奉祀ノ旨被命候」と記され、御神祭健御名方富命・前八坂富命と見え「明治六年(1873年)正月無格社二被定浅草神社兼務社ニ被仰渡同八年(1875年)三月十五日村社に被定候」とあって少なくとも天正年間(1573~1591年)にはこの地に鎮座していたことがわかります。

 

 

以上が諏訪神社の略記で少なくとも現在の地に鎮座して四百年以上も変えずに祀られていたことがわかります。

 

そして浅草寺との関係は浅草寺の本坊知楽院(貞享二年から伝法院)を始めとする三十四の寺(十二の寺は衆徒二十二の寺は寺僧)末寺門徒二十五寺(十七寺は末寺、八寺は門徒)から成り立ち、当社の別当であったのが十二衆徒の一院でありました修善院と呼ばれる寺院であります。

 

その修善院は北谷と呼ばれるところにあって冨士神社の別当も兼ねていました。

 

「修善院境内千五百二十六坪 本尊阿弥陀如来 冨士権現社当院持、在諏訪町 諏訪明神社一か所、当院持、神躰諏訪大明神丈五寸本座束帯本地普賢丈八寸五分立像勧請年月不知祭礼七月二十七日社地五十九坪九合但浅草寺領の内、畑、屋舗一か所千三百七十七坪 当時六郷家ニ貸置申候」と記されていますが、何時から二社の別当になったのかはわかっていません。

 

代表 まっちー音譜

 

株式会社 町田絲店 代表取締役

 

 

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