浅草の歴史(鎌倉新仏教とその寺院 律宗・禅宗・浄土宗)その14 | まっちー(machida-ito)のブログ

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それでは何時頃光明寺は現在の材木座に移されてきたのか?この点についても定かではありません。

 

しかしながら住吉城近くに住吉山悟り真院正覚寺という寺があり、その寺の寺伝によれば、良忠を荼毘にふしたところだと言います。

 

このように良忠が悟真寺が悟真院正覚寺で荼毘にふされたのが事実だとすれば、正覚寺は弘安十年(1287年)七月に亡くなった良忠の墓所として建立されたことになり、良忠の墓所名を悟真院と名付けたことになるのです。

 

 

そして佐介谷にあります大仏朝直の建立した悟真寺を蓮花寺と改名したのでないかと云われています。

 

そして更に光明寺がまだ佐介谷で蓮花寺と呼ばれていたころ、この材木座の地には満福寺という寺があったとされています。

 

即ち貞和三年(1347年)頃まで極楽寺(新義律宗)の末寺でありましたが、のちに廃寺になっています。

 

そしてその後この地に光明寺が移転してきたことがわかります。

 

代表 まっちー音譜

 

株式会社 町田絲店 代表取締役

 

 

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