浅草の歴史(鎌倉新仏教とその寺院 律宗・禅宗・浄土宗)その12 | まっちー(machida-ito)のブログ

まっちー(machida-ito)のブログ

糸・紐・リボン・テープ・・・・などなど

細くて長いものなら何でも取り揃える「町田絲店」の

7代目社長の「つぶやき」的なウェブログです。

ゆる~くご覧ください。

ありがとうございますニヤリ

 

それではいつ頃この大仏が建てられたのか、「吾妻鏡」から見てみると歴仁元年(1238年)三月二十三日「今日相模国深沢里の大仏堂の事始である。僧浄光勧進してこの建造を企画した」と記されており、念仏僧の浄光という僧侶によって造建が始まったことがわかります。

 

次いで、仁治二年(1241年)三月二十七日には大仏殿の上棟式が行われ寛元元年(1243年)六月十六日に八丈の阿弥陀大仏が完成したといわれています。

 

ただしその大仏は木造であったとされています。この点に関しては「東関紀行」という紀行文に「のちの東大寺の本尊は聖武天皇の製作金銅十丈余の廬舎那仏なり(中略)この阿弥陀は八丈の御長なれど彼の大仏の半ばよりもすぐめり、金銅・木造のかわりめこそあれども(以下略)とあって木造であった。

 

更に「吾妻鏡」建長四年(1252年)八月十七日には「今日、彼岸の第七日に当たる深沢の里に金銅八丈の釈迦如来像を鋳はじめ奉る」とあって、この時新たに金銅の大仏の鋳造が開始されたと考えられるからであります。

 

そして更に文永元年(1264年)四月五日に鋳造された東大寺真言院の梵鐘に「鋳物師新大仏寺大工丹治久友」とあってこの鋳物師丹治久友が鎌倉大仏に関わったことが推察されます。

 

そして大仏が深沢里に造られたのはその場所が前に述べたように西の境界に当たる所でした。

 

そして更に言えば浄光という僧が鶴岡八幡宮の社檀で受けた夢告によって八幡大菩薩の本地仏である阿弥陀仏を造りそれによって関東の安泰を祈るためでありました(大仏趣旨)と言い、幕府もこれを許可し後援したものであります。

 

そして弘安七年(1284年)には極楽寺の開山としてまた律宗の僧として著名な忍性がこの大仏の別当に任命されているのです。

 

恐らくこのころには浄土宗から律宗(新義律宗)に変わっていたと考えられています。

 

 

代表 まっちー音譜

 

株式会社 町田絲店 代表取締役

 

 

町田絲店の紹介動画です↓



 

ペタしてね

 

よろしければ↓↓クリックお願いします!

 

人気ブログランキングへ