浅草の歴史(鎌倉新仏教とその寺院 律宗・禅宗・浄土宗)その11 | まっちー(machida-ito)のブログ

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三、鎌倉の浄土宗寺院

中世の都市であります鎌倉についていえば現在の東京都その中の二十三区が鎌倉にあたり、それ以外は田舎という区分でありました。

 

そしてその違いはどのような寺社が建てられるかといった寺社の配置にも反映されていたのであります。

 

 

結論的にいえば、鎌倉中(鎌倉といわれる範囲)には鶴岡八幡宮をはじめとする旧仏教寺院や有力神社が造営され田舎というより鎌倉中の境界に禅・律・念仏といった新仏教寺院が建てられるといった配置になっていたのであります。

 

その点が最もわかるのが元仁元年(1224年)十二月二十六日に行われました「四角四境鬼気祭」という陰陽道祭祀であります。これは疫病が蔓延しそれを鬼気と考え、将軍御所の四隅を鎌倉中の境界であります四境で鬼気を払う陰陽道祭祀がなされておりその四境は「東六浦・南小壺・西稲村・北山内」となっており、それが鎌倉中の境界でありました。

 

それが次第に広がって今一般的に鎌倉と呼ばれる範囲になったのであります。即ち鎌倉中の拡大につれ境界であった地域が鎌倉中になったわけであります。

 

そうした境界地域に建てられたのが鎌倉大仏であります。

 

正式には大異高徳院清浄泉寺といって浄土宗の寺であります。現在の大仏は高さ11m36cmの阿弥陀大仏で総重量121トンであります。

 

大仏殿に入っていないが当初は大仏殿の中に鎮座していました。

 

明応七年(1498年)の津波によって大仏殿は倒壊され、以後は再建されませんでした。そして十八世紀芝の増上寺の祐天によって修復がなされましたが、大仏殿は建てられませんでした。

 

代表 まっちー音譜

 

株式会社 町田絲店 代表取締役

 

 

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