江戸と浅草の歴史(町名由来と古地図を通して(その13) | まっちー(machida-ito)のブログ

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江戸と浅草の歴史(町名由来と古地図を通して(その13)

 

ありがとうございますニヤリ

 

北条氏と江戸・浅草

 

また、正徳四年(1714年)浅草諏訪町の銅吹屋で銀の吹改めを仰せつけられている記事があるが、その始まりが何時であったのか不明であります。

 

正徳六年(1716年)正月火事で類焼し後に廃止となったことが享保二年(1717年)医師吉田梅庵と赤松保庵の拝領屋敷となったと記されています。

 

諏訪町の西隣が猿屋町代地で二か所あります。

 

御米蔵の西方にあります猿屋町が享保十七年(1732年)三月に火事で類焼し、その内が御用地に召し上げられました。

 

堀田出羽守の上屋敷であったところであります。

 

当地に御絵師狩野洞寿・同じく狩野伯寿の拝領地が見える猿屋町はもともと豊島郡峡田領鳥越村にあって、寛永七年(1630年)に町屋になりました。

 

町名の由来は伝えによると「越後国猿屋村から出てきた猿屋加賀美太夫という舞太夫が古くから住んでいて俗に猿屋町という町名になった」と言われています。

 

猿屋町代地の隣には陸尺屋敷となっており、もと人参座伊兵衛という人が拝領していたが、地所が召し上げになったあとは享保十二年(1727年)に拝領を仰せつけられそれからは陸尺屋敷と唱えたといわれています。

 

隅田川の渡しについて

言問の渡し 隅田川の渡し・橋場の渡しともいう 橋場町の北から水神のそばへ渡す

 

寺嶋の渡し 橋場の渡しともいう 今戸に近い橋場から寺嶋村へ渡す

 

竹屋の渡し 待乳の渡しともいう 金竜山下瓦町から三囲神社の北へ渡す

 

枕橋の渡し 山の宿の渡しともいう 浅草山の宿から本庄の枕橋へ

 

竹町の渡し 花方の渡し・業平の渡し・駒形の渡しともいう 浅草材木町から中ノ郷竹町へ

 

御蔵の渡し 厩の渡し・文珠院の渡しともいう お蔵の北厩河岸から本所石原町へ渡す

 

三途の渡し 浅草芳町から本所藤代町付近へ渡す

 

 

代表 まっちー音譜

 

株式会社 町田絲店 代表取締役

 

 

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