江戸と浅草の歴史(町名由来と古地図を通して(その12) | まっちー(machida-ito)のブログ

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江戸と浅草の歴史(町名由来と古地図を通して(その12)

 

ありがとうございますニヤリ

 

北条氏と江戸・浅草

 

黒船町と御厩カシの間には御用地と三好町であります。天和元年(1681年)三月御坊主の拝領地になりました。

 

享保十七年(1772年)の火事で類焼し、御用地に召し上げられたが、西北方(黒船町代地のとなり)に替地に下されました。

 

宝暦七年(1757年)残らず元地に帰るよう仰せ出されました。替地のほうは三好町代地として残しておくことになったといいます。

 

町名の由来はオランダの黒船が来た時、船の先をこの地に向けて停泊したので舟首町としたものを後に三好町に改めたといわれています。

 

黒船町のとなりが諏訪町で通りを隔てて三か所あります。

 

北のほうの町内に諏訪社があります。

 

寛文図(1671年)や延宝図(1679年)にも記されています。

 

 

町内に諏訪社があったので町名になりました。

 

浅草寺領いつ町屋になったかは古文書が類焼しててわかりません。

 

ただし正保四年(1647年)諏訪町河岸に十二か所水稽古小屋場が作られ毎年土用前から八月中旬まで泳ぎの稽古が行われ近習、外様、御歩行衆まで段々に水練の上覧あったといいます。

 

そしてこれからは毎年川端に小屋をかけて非番のものは毎日泳ぎの練習をするように申し渡せという上意がありました。

 

これ以後は歩行の者達が水練に精を出したといわれ寛政年中(1789~1800年)からは毎日お徒頭が一人ずつ小屋に出向いて見ていたと「正保日記」は記しています。

 

代表 まっちー音譜

 

株式会社 町田絲店 代表取締役

 

 

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