江戸と浅草の歴史(町名由来と古地図を通して(その5) | まっちー(machida-ito)のブログ

まっちー(machida-ito)のブログ

糸・紐・リボン・テープ・・・・などなど

細くて長いものなら何でも取り揃える「町田絲店」の

7代目社長の「つぶやき」的なウェブログです。

ゆる~くご覧ください。


テーマ:

江戸と浅草の歴史(町名由来と古地図を通して(その5)

 

ありがとうございますニヤリ

 

北条氏と江戸・浅草

 

天正十年(1582年)織田信長の武田氏征伐があり、その後、本能寺の変で信長が倒れると北条氏は上野に兵を進め、信長の武将として関東に送り込まれていた滝川一益と金窪で対陣し、六月十九日神流川の戦いで一益の群を破りました。

 

次いで八月十日にはの信長の連合軍に入っていた家康と甲斐の若神子で対陣したが、両者は和睦し、その条件として家康は甲斐・信濃を領有し、北条は上野を領有することで決定しました。

 

更に家康の女督姫が北条氏直のもとに嫁ぐことも決まったのであります。

 

以後、北条(当主)氏直は北関東の宇都宮氏、由良氏、皆川氏などと戦うことになります。

 

ところが、畿内・西日本では次第に豊臣秀吉の天下統一が進み、北条氏としてもあくまで豊臣と戦うか、豊臣の傘下に入るかの二者択一を迫られることになり、結局は対決の道を選び、天正十七年(1589年)豊臣秀吉からの最後通告を突きつけられ、天正十八年(1590年)二月、まず徳川軍が出陣し、各大名も順次関東に向かいました。

 

そして四月小田原城が包囲され七月北条氏政・氏直が降伏し北条氏は滅亡するのであります。

 

代表 まっちー音譜

 

株式会社 町田絲店 代表取締役

 

 

町田絲店の紹介動画です↓



 

ペタしてね

 

よろしければ↓↓クリックお願いします!

 

人気ブログランキングへ

下町の糸屋さん(町田絲店)さんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

SNSアカウント

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス