江戸と浅草の歴史(町名由来と古地図を通して(その4) | まっちー(machida-ito)のブログ

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江戸と浅草の歴史(町名由来と古地図を通して(その4)

 

ありがとうございますニヤリ

 

北条氏と江戸・浅草

 

次に寺領について現在の台東区内に見える分を挙げてみると

 

上野 島津孫四郎 五貫七百文 上野内法林寺分(芳林寺)

 

鳥越 吉祥寺 和田倉にあった六貫九百五十八問看栄天海和尚

    へあてた「寺領改書立」

 

浅草 寺領 浅草寺家 四十貫九百文

    職人衆の江戸鍛冶 四貫二百文 浅草の内近藤分などが見え

    ます

    職人衆の江戸番匠 四貫二百九十文 千束の内浅草分

 

「鈴録」によれば、「十貫は百石百貫は千石也」とあります。

 

以上合計二百九十六貫三百二十八文でこの貫高が江戸のすべての貫高でないことは言うまでもないことであり、寺領・社領・職人衆領を含め、不明な点が多いのも事実であります。

 

ただし「江戸町づくし稿」に記されている台東区内の各町名由来を見ると古くはほとんど峡田領内であったことがわかります。

 

すなわち現浅草橋から見ていくと平左衛門町、旅籠町代地、瓦町、天王町、猿屋町、御蔵前庁町、森田町、旅籠町、新寺町、黒船町、田原町、花川戸、山の宿町、金竜山下瓦町、山の宿六間町、山川町、日輪寺門前、今戸町、橋場町が古くは峡田領でありました。

 

また、諏訪町・三間町・駒形町・材木町・並木町は浅草寺領と見え、東仲町・西仲町・田原町は御年貢地と記され、花川戸は承応年中(1652~1654年)に浅草寺領となったと記されています。

 

代表 まっちー音譜

 

株式会社 町田絲店 代表取締役

 

 

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