江戸と浅草の歴史(町名由来と古地図を通して(その1) | まっちー(machida-ito)のブログ

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江戸と浅草の歴史(町名由来と古地図を通して)(その1)

 

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北条氏と江戸・浅草

 

駿河国富士郡の興国寺領から小田原城に本拠を移した北条氏は今から四百八十年前の大永四年(1524年)扇谷上杉氏の拠点であります江戸城を攻略して江戸を手中にしました。

 

以後六十六年間江戸は北条氏の支配下にあったのであります。

 

現在残されている「北条家所領役帳」(小田原衆所領役帳ともいう)は永禄二年(1559年)北条氏氏康によって作成されたものと言われて、そこには北条氏家団として組織された江戸衆の姿が残されています。

 

すなわち北条氏は江戸城を支配下に置くと同時に遠山氏を城代に命じ、江戸支配に当たらせました。

 

北条氏の領地となった江戸はこの時から北条氏の支配体制に沿って支配が行われていた訳です。

 

その支配体制は「郡」と「領」を単位としています。「郡」は北条氏が直接に行政を行う地域であり、「領」は支城主が支配し、家臣団に対し何貫かの知行地をあてがい、諸税制と行政が行われた地域であります。

 

浅草の地域を後の文献で見ると、古くは豊島郡キ狭田領であったと記された処が多く見えます。

 

おそらく狭田領と記された処が北条氏支配当時の「領」の範囲であったと考えられます。

 

そしてその領内には北条家臣団となった当時の土豪たちが貫高と支配領地を得て江戸衆となっていたのであります。

 

現在の台東区内に当てはめると当時の江戸衆を見ると次のような人々がいたことがわかります。

 

下谷 御馬廻衆 大谷十郎左衛門 三十五貫九百文

 

下谷 江戸衆 原田 七貫三百四十文

 

下谷 江戸衆 下谷 菅野分 江戸下谷五分の一

 

石浜 江戸衆 木内宮内少輔 十二貫四百八十文 江戸石浜・今津

 

石浜 江戸衆 太田大膳亮の衆和田助右衛門 六貫六百八十五文

    千束 石浜 惣領分

 

石浜 江戸衆 太田新六郎の寄与 土屋氏 十五貫四百文

    千束石浜

 

上野 江戸衆 円城寺 十八貫三百二十文 江戸上野

 

屋中 江戸衆 遠山弥九郎 三十九貫 江戸屋中

 

金杉 江戸衆 飯倉弾正忠 十一貫二百八十文 千束市内金杉分

 

金杉 江戸衆 太田大膳亮の衆河野貢 二十九貫七十二文

    千束市内南原

 

鳥越 江戸衆 富永善座衛門 八貫六百二十三文 江戸鳥越

 

浅草 江戸衆 島津弥七郎 二十七貫七百文 江戸千束内近藤分

 

浅草 江戸衆 太田新六郎 六貫二百文 千束内三戸分

    同人寄子 岸氏 十六貫三百九十文 千束内阿佐谷分

 

上野 江戸衆 島津孫四郎 五貫七百文 上野芳林院分

 

代表 まっちー音譜

 

株式会社 町田絲店 代表取締役

 

 

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