まっちー(machida-ito)のブログ

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テーマ:

江戸と浅草「隅田川の由来と歴史」(その11)

 

それでは終わりにすみだがわにかけられた「橋」についてはどのような記述がなされているのかみていきます。

 

先ず、「浅草寺縁起」に「天慶五年(942年)に安房守公雅が浅草寺に参詣したことが述べられており、その傍らに、浮橋が描かれているので、この浮橋が水だ側にかけられたと一応考えられるとなれば、橋としてはもっとも古い事になります。

 

しかしこの演技には「応永縁起」と言われ、室町時代の作とみなされているので、伝承または想像に基づいて記されたものとみられています。

 

従って、文献・記録に記された橋としては「源平盛衰記」が一番古い事になるのです。即ち「治承四年(1180年)源頼朝のすみだがわ渡河について、「在家をこぼちで「浮橋」をよの常に渡しけり」と記しているからであります。

 

しかしこの点についても「かならずしも良質な史料ではないので、疑いありとされているのです。

 

それは鎌倉時代の史料で最も信頼されている文献「吾妻鏡」に頼朝の隅田川渡河について記しているにも関わらず、浮橋がかけられたことを記していない点が挙げられているからであります。

 

それでは隅田川にいつごろ浮橋がかけられたのか、この点については前に記した康元元年(1256年)九月に右大弁藤原光俊が鹿島神社に参詣する途中に隅田川を見て

 

「すみだ川昔は聞かず今こそは身をうきはしのはるよなりけり」という一首によって知る事ができると「葛西志」「新編武蔵風土記稿」が記しているからであります。

 

次いで文明年間(1469~1486年)、前に記したように太田道灌が下総の千葉氏を攻めるために「隅田川に浮橋をかけた」というもので、「梅花無尽蔵」や「葛西志」などがこのことを記しています。

 

次いで「東京市史稿」は永禄七年(1564年)北条氏康が里見義弘軍を国府台に攻めた時、隅田川に浮橋をかけた」と記しています。

 

このように時代時代によって隅田川に浮橋がかけられたことが知られていますが、これらの橋は浮橋で舟を幾許も繋ぎ合わせた橋であった訳であります。

 

ありがとうございますニヤリ

 

代表 まっちー音譜

 

株式会社 町田絲店 代表取締役

 

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