町田ロッテと野球散策 -18ページ目

町田ロッテと野球散策

いやぁ、野球って、本当にいいものですね。

あの年、母を亡くしました。

当時新駅であった武蔵砂川駅近くの家に住んでいましたが、その年の夏休みから親戚に引き取られるように、居候生活となりました。

居候先の従兄弟は、なぜか阪神ファンでした。その年の阪神は絶好調で、毎朝、西武柳沢駅前の売店まで日刊スポーツを買いに行くのが私の仕事でした。当時は今ほどコンビニエンスストアもありませんでした。

駄菓子屋もありました。そこで買うのはもちろんプロ野球チップスでした。そして阪神の選手が出たら、否応なく従兄弟に没収されました。私はなぜか山本和行や中西清起を引き当てることが多かったのですが、手許には残らず。代わりに原や吉村まみれになりました。理不尽極まりないものでしたが居候ゆえ、耐え忍ぶしかありませんでした。

その年の日本シリーズは、地獄でした。武蔵砂川の前は東大和市駅の近くに住んでおり、その前は保谷。ずっと西武線沿線に住んでいる私はもちろん西武ファンでした。1982年、翌83年と広岡監督のもので日本一になった西武は84年こそ阪急に負けましたが85年は再びパリーグを制覇したのです。当然、日本シリーズも広岡西武が制覇するものだと思っていました。相手は「21年ぶりの優勝」となった阪神タイガース。

 

ゲイルがピッチャーゴロを処理してゲームセットになり、阪神が日本一になった瞬間は忘れられるものではありません。ちなみに最後の打者は、当時熱心に応援していた伊東勤…後年マリーンズの監督を務めるあの伊東でした。それだけに、相当悔しい日本シリーズとなりました。従兄弟には、今でいうマウントを取られ続けたものです。

 

あれから38年ですか。

 

 

久々おばんどう。

今日は白井のばんどう太郎で夕食をいただきました

 

ばんどう太郎と言えばやはり味噌煮込みうどんです。私はここでは味噌煮込みうどん一択です。

 

オバンドーは元気でしょうか。

 

文化の日は祭日ですので少年野球は活動日です。

午前中の練習、私は超低学年を担当したのですが、最初に「昨日日本シリーズ見た人!」というところから始めました。

 

そしてキャッチボールの大事さ、さらにはセカンドからファーストへの送球の重要度を強調するために、本当に申し訳なかったのですけど昨日の8回裏の阪神の猛攻をネタに使わせていただきました。木浪の二塁への打球、安達が一塁へ悪送球したところから始まったビッグイニングでした。オリックス安達と言えば、シーズン終盤でとんでもない神守備を見せたのはついこの前だったような気もしたので「まさかあの安達が…」と思って見たものでした。野球は本当に何が起こるかわかりません。ちなみに小学校1、2年は甲子園の8回の時間にはたぶん寝ていたと思われ、結局誰もそのシーンは知りませんでした。

 

午後の試合。私は球審を務めました。相手チームのお父さんコーチ含めた審判団での試合前ミーティングで、「ここからここまでは私(球審)が見ます」という話をすることになっているのですが、そこでも日本シリーズ小噺を挟んでしまいました。先日記した、第2戦のダブル・ジャッジについてでした。あれは自身も一度失敗したことがあるので、どうしても「言わねば」と思ってしまったのです。

なおその試合、上記の午前中の練習でセカンドからファーストへの送球を練習させていた2年生が、見事に実戦で補殺を記録しました。これは本当に嬉しかったです。

 

少年野球は、平凡な飛球や普通のセカンドゴロでも、そのアウト1つを取れたというだけで周囲をとても喜ばせてくれます。

毎週、素晴らしい週末を過ごさせてもらっています。

日本シリーズ中継でスズキの軽自動車やら三井不動産やらのコマーシャルを見ると、どうしても彼はいま何をしているのだろうかと思ってしまいます。
 
広瀬すず似の、元オリックス榊原。
 
なお本稿を書いている途中で阪神のビッグイニングを見ました。さすがに宇田川は使い過ぎではないかとは思いましたが。野球場では何が起こるかわからないものです。
 
なお今日は仕事で会社に行っていました。帰宅後、我が子の食育ファイルに親がコメントをするという務めが残っていました。どんなことを学校で勉強しているのだろうかと思いながら、ページを繰ります。
 
「料理の『さしすせそ』の『せ』はなんでしょうか」
 
小学2年生にそれを聞くのですね。けっこう高度だと思います。特に「せ」はいちばん難しいやつではないですか。
我が子、相当自信があったのでしょう。確信を持ってしっかりと書いた答えがこちらでした。
 

 

 

…そうか。

ハロウィンパーティーを家でしました。自分が子どもの頃、そんなものは一切しなかった記憶がありますが、日本でもだいぶ浸透したイベントになりました。数年前のイオンで、衣料品カウンターレジの従業員がゾンビみたいなメークを施して、口から血を垂らしている状態で接客をしていたのを思い出しました。価格違いや接客ミスでクレームがあった場合、本当にそのいでたちで応対するのだろうかと疑問に思ったものです。

 

さて。

やはり今日はこちらの話題に触れねばなりません。始業前だったと思います。江村と三木の引退を突然知りました。

驚きました。

もっとも江村に関してはドラフト終了後に「第二次戦力外にかかりませんように」と祈っていたというのはあったのですが、31歳での引退には驚きました。したがって今日は仕事が手につきませんでした。仕事しない言い訳ばかり探しているような感じにはなっているのですけれども。

そして、三木です。彼に関してはマリーンズがドラフト3位指名した直後の横浜市長杯大学野球で、入団前の三木を観に行ったのをつい昨日のように覚えています。上武大の背番号1は、サードを守っていました。なおこの試合はチケット売場で諸積スカウト(当時)の真後ろに並ぶことになり、「スカウトもお金を払って試合を観るんだ…」と当たり前のことに関心したものです。

 

三木も江村も、その稀有なキャラクターはオンリーワンでした。それだけに、彼らの引退で心にぽっかりと穴があいてしまうのです。

お二人ともコーチ就任が予定されているそうです。立派な後進を育ててほしいと思います。

 

江村と言えば、やはりバッテリーコーチでしょうか。バッテリーコーチと言えば、いま日本シリーズを戦っているオリックスのベンチでよく齋藤俊雄コーチが映るのを目にします。彼も、1年だけでしたがマリーンズにいました。2010年の下剋上の年です。当時の里崎や的場の出番を奪ってマスクをかぶるところまではいかずに1年でオリックスに行ってしまいましたが、常勝オリックスの首脳陣の一員を務めているのは見事としか言いようがありません。たしか入団は横浜のドラフト10位です。相当勉強したのでしょう。たぶん、ものすごく野球を知っているのだと思います。もう少し打てれば、もう数年長い現役生活を送っていたのかもしれません。江村ももしかしたら、齋藤コーチのように活躍の場を得られるのでしょうか。そうであれば、本当に楽しみです。

 

あ。

まさかの走塁コーチとかあるか?

 

江村に、そして三木に幸あれ。