母には絶対に勝てない。。。 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

母には絶対に勝てない。。。

週刊の介護保険専門紙「シルバー新報」のコラム〈私の医療・介護物語〉もあと2回。第5回のテーマは「限りある命だからこそ輝く…最期まで人には役割がある」です。



車椅子の母と過ごして8年目を迎えたある日、母に末期の子宮頸がんが見つかりました。先生から告げられた母の余命は半年、もう手遅れでした。



治療法がなければホスピスへという時代、「何かあったらどうするのか」という不安はありましたが、住み馴れた我が家で最期まで過ごさせてあげたいと強く願いました。



その願いを叶えてくれたのは地元埼玉の病院の<緩和治療科>の医師と訪問看護師さん達でした。今から25年前、緩和という概念がまだ普及していない中で



外科、内科、精神科、訪問看護がチームを組み、緩和ケアから積極的な治療まで様々な選択肢を支えてくれるという画期的な取り組みをしていました。



ただし母は元々の重い障害に加えて食事が摂れなくなりガリガリに痩せて寝たきりに。高カロリー輸液の点滴、尿カテーテル、オムツ



がんが腸を巻き込むように大きくなったため排便が困難になり人工肛門の手術もしていて、決して楽観できる状態ではありませんでした。



病院との大きな違いはナースコールが無いことで、急変しても医師がすぐに駆けつけてくれるわけではなく、一番重要だったのは家族の「覚悟」でした。



また全ての選択が母の命に関わるため「決断」も求められました。言語障害があったので私が本人に代わってその決断をしなければなりませんでした。



母の前では絶対に泣かないと決めても、ふと気が緩むと溢れてくる涙。そんな絶望の中の光となったのはまたしても母でした。



点滴や人工肛門のパッチの交換は全て家族がしていましたが、母に呼ばれたのでベッドサイドに行き「なあに」とのぞきこむと、ちょうど人工肛門から便が出るところでした。



「ほらほら」とまるで珍しいおもちゃを見せるかのようなおどけた笑顔の母。明るく教えてくれたので「良いウンチが出たね」と私は言うことができました。絶対に母には勝てないと思った瞬間でした。



「おはよう」「おやすみ」など何気なく交わす母との会話もこれが最期かもと思うと、全てがとてもかけがえのないものに。また亡くなる直前に最期の外出も出来ました。



弟からのサプライズで当時お付き合いしていた恋人と小さなピアノ教室の発表会に出るということで、家族みんなで観に行きました。



それまで一度も泣き顔を見せなかった母が大粒の涙を流し、私達も一緒に号泣しました。母ももう自分の命が長くないことを分かっていたのだと思います。



訪問看護師さんにも帰り際に枕元に用意していた飴やガムを手渡しながら拙い言葉で「感謝だわ」と伝えていた母。



生きている意味があるのかと思われる状態であっても最期まで人には役割があるということ、<限りある命だからこそ輝く>ということを教えてくれました。



無言のうちに運命を受け入れていた母が我が家で一番強かったです。最期をどこで迎えたいかという質問に「住み馴れた我が家」と多くの人が答えていながら、在宅死はわずか1割という現状が続いています。



人生の最期をどう生きるのかを話し合う<人生会議>が話題になっていますが、自分達はどうしたいのかという意思表示をきちんとすることが大切です。



そしてその選択を支え見守ってくれる医療介護スタッフに出逢って欲しいと思います。「私達家族はラッキーだった」で終わらせたくない、私が医療や介護をテーマに発信を続ける理由ですクローバー