もっと一緒にいたかった… | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

もっと一緒にいたかった…

日本経済新聞の土曜朝刊のコラム「向き合う」コラムきょうがラストになりますメモ



最終回は重度の障害を負った母を襲った末期がんと向き合った日々を振り返りました。病名は〈子宮頸がん〉。発見した時はもう手術も出来ない状態でした。



1998年のことでまだがんの告知も進んでいない時代。さらに母は言語障害を抱えていたため、治らない病気だと告げても自分の気持ちを上手に表現することは出来ません。



医師とも相談して母には病名を伏せて治療することを決め、命に直結する選択を私が代わりにすることになりました。母はまだ48歳、私も26歳でした…。



父と私達きょうだいは母の通訳の役割を果たすため、可能な限り病院に足を運びました。体調変化の情報を共有する「お母さん日記」は口に出来ない家族の想いを吐露するのにも役立ちました。



母の命の限りが分かってから「また今度」 「また来年」という言葉を口に出来なくなった私達。何故なら母には来年が無いことが分かっていたから。



そして選択した〈在宅〉。自宅近くの総合病院には当時では珍しいがんをチーム医療で診てくれる緩和治療科が立ち上がっていて、24時間体制で訪問診療と訪問看護を提供してくれていました。



信頼できる医師と看護師に出逢えたから母を自宅に連れて帰ることが出来ました。そして覚悟していた通り家族が見守る中で母は息を引き取りました。



車椅子生活になって10年。あっという間でした。もっともっと一緒にいたかった…。「命は限りがあるからこそ輝く」 母が身をもって教えてくれたことを胸に、自分らしく生きていきたいと思いますクローバー



https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA293K30Z20C24A4000000/