節目の年 | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

節目の年

きのうは久しぶりの足立区にて
医療&介護カフェAdachiでしたニコニコ


足立区で在宅に取り組む多職種が
顔の見える関係を築くことを目的に


2014年にスタートしたこのカフェは
今回で23回目の開催となりました


始めの参加者は20人あまりでしたが
地域も超えて一時は200人を超える


人が集まる規模に成長しここ数回は
区民フォーラムの形になりましたクローバー


在宅医療カレッジでもご一緒している
首都圏を中心に在宅診療に取り組む


悠翔会の佐々木淳先生は基調講演で
最期まで自分らしく生き切るためにを
テーマに人生100年時代を迎える中で


身体的機能だけで健康という概念を
考えるのではなく精神的・社会的に
健康であるかどうかが重要だと指摘。


歳を重ねれば誰しも認知症になる
可能性があり認知症などの病気に


ならないことだけに囚われると
人生の本当の目的を見失うとも。


"不便だけど不幸では決してない''


支援は必要ですが自らもヘルパーの
派遣事業を手掛け支える側でもある


難病ALSの男性の事例を紹介し
病気でも障害があっても"生きる"


全体を見て幸せかどうかを考える
"生活モデル"が大事だと佐々木先生。


納得できる最期を迎えるためには
治らないという現実を受容すること


最期まで生活や人生を諦めないこと
そして大切なのは自ら選択することクローバー


後半のパネルディスカッションでは
在宅に携わる看護師や管理栄養士や
看取りを経験したご家族が登壇。


お母様を看取った女性は離れて
田舎で暮らしていたご本人が弱音を


口にしたのを見逃さずに受け止め
近くのサービス付高齢者住宅を選択。


信頼できる医師や看護師など専門職の
サポートを受けて医療を最小限にし


好きな物も最期まで食べることができ
穏やかに一緒の時間を過ごしたそう。


主治医を務めていた佐々木先生は
ご本人が自分の状態を理解していて
すでに覚悟を決めていたと話します。


管理栄養士による食事のサポートが
在宅でも受けられることはあまり


知られていませんが管理栄養士の
仕事は食事を制限することではなく


ご家族が心を込めて作る料理を
食べられるようにするための工夫や


好きな物を最期まで食べられるよう
アドバイスをして栄養をきちんと


摂取することで体力維持に繋げたり
何より心を元気にすることだそう。 


"家に帰りたい"という本音を知った
訪問看護師さんは家族にそのことを


さり気なく伝え自宅に帰る希望を
叶えたというエピソードも出ました。


去年人生会議のポスターが物議を
醸しましたが人生会議とは"ACP"


アドバンスケアプランニングの
愛称ではありますが人生会議を


終末期に受ける医療をどうするかを
意思表示して本人が選択することと


医師が解釈してしまうのは医療という
狭い視野でしか考えていないから。


最期まで自分らしく過ごすためには
本人が本音を語る必要がありますが
家族だからこそ本音は言い辛いもの。


母と父の看取りを経験しましたが
最期に必要だったのは医療ではなく


身体や言葉が不自由だった母には
住み慣れた我が家で好きな物や人に
囲まれて最期まで過ごしてもらうこと


父の最期は病院ではありましたが
看護師さん達に優しくしてもらった
ことが何より心のケアになりました。


命の限りが分かった時から看取りは
始まっていて最期の瞬間だけでなく
全ての選択が命に直結していました。


人生会議において専門職に必要なのは
看取りのプロセスの中で本人の希望や


家族の不安に寄り添い納得した選択に
辿り着くように導いていくこと。。。


今年は多職種のみなさんには学びを
ぜひ実践に移して欲しいと思いますひらめき電球



今回は初めて高校生がボランティアで
参加し設営など手伝ってくれました星


彼らにはまだ在宅医療や看取りは
身近な話ではないかもしれませんが


医療や介護の現場で汗を流す大人が
切磋琢磨していることを知ってもらう
機会になっていたら嬉しいですニコニコ


フリーになって9年目になりますが
拙著「十年介護」を出版できたのは
会社を辞める決断をしたからですし


講演する機会をいただいているのは
この本を世の中に出せたからです。


今年は母が生きていたら車椅子の
生活になって30年という節目の年。


"母の生きた軌跡を残したい。。。"


人生に起きた全てのことに意味があり
今に繋がっていることに感謝ですクローバー


今年も私の経験をお話することで
小さな気づきの種を蒔いていきます音譜