
読んでみると、琉歌は心情を素直にそのまま表現する素朴なものだと感じます。何かにたとえたり音の面白さを取り入れた歌もありますが、技巧に苦心するより想いをストレートに詠む、というのが沖縄らしい感じ。 沖縄の人々のなかで共有されてきた言い回しには共通の理解が得られ、ヤマトゥンチュには意味はわかるけれども微妙なニュアンスは伝わらないかも

古典音楽界には「仲風止まゐ・述懐止まゐ」という言葉がある、とのことです。つまり仲風・述懐節まできたらもう満足して稽古をしなくなってしまうことを指し、できた気分になって物事を中途半端にすることの意味が込められているそうです。これなどは歌三線をやっている人には思い当たるフシがありそうです。というかこういう表現を使って歌を詠むのは三線をする人なはず。自作なさる我が師のように、本来は自分で歌をよんで好きな節、合う節にのせるものなのでしょう。 次回の稽古までに歌を作ってくること
