September 03, 2010

出逢った本「レオノールフィニ」と「岩谷 薫」

テーマ:レオノールフィニ

京都の美術教室












 
いつも暑い中教室に通ってくださっている生徒さんから本をお借りしました
左側は 岩谷 薫 の天使達の写真集
右側は レオノール フィニ という作家の本です

お二人とも本で出逢うのははじめて
久しぶりに一気に読みました

今日はフィニの事をちょっと
詳しくは調べてください、ここでは私の印象を

Leonor Fini フィニは女の人なんです
そして年代は1907~1996 ブエノスアイレスに生まれパリで死んだ人
お顔の印象は永遠の子供、少年でもあり少女でもある人という感じ
絵はシュルレアリストでもありと言った感じでしょうか
時代が時代ですもんね
フロイトやアンドレブルトンとか、無意識の発見が世に出だしたころに幼少期を過ごす事になるのかな

このような不思議な絵を描くには時代だけではなく、やっぱり幼少期の体験が関わって来るのは否めない
彼女もやはりちょっと特殊な幼少期を過ごしたようです

今もそうですが、女性が革命的であろうとしたら何かを捨てなくては行けないような風潮が有る
風潮だけなんですが、それはとてもやっかい
今なお女性は「誰々の奥さん」や「誰々のお母さん」というレッテルがつきまといます
一人の人間として認めてもらいにくい
いや、限定するなら一人の芸術家として独立存在する女性に私は出逢った事が有りません

フィニと比較的に持ち出されるフリーダカーロ
彼女は愛するディエゴがいたからこそあれだけの作品を出せたんだと思います
逆にフィニには特定の男性がいなかった、しかし男性が居なくても存在できた!
だけど彼女の作品はフリーダカーロより弱い
なんたる逆説!

私はぞっとします
同じ作品を創る者として、女としてぞっとします

数年前に一時期ジェンダー問題と騒がれた事が有りましたよね
でもなくなっちゃった
芸術家、企業の社長、料理人、小さな会社の室長でさえ、女性は結局少ないまま
またいたとしてもトンチンカンな問題定義しかしなくて、加えて個人の問題しか抱えられなくって。
個人の問題を個人で終わらせたくないなら社会に通じるよう昇華されなくてはならない
近所の井戸端会議じゃないんだから、、、、、

現代ですらこうなのに、フィニやカーロの時代を考えると相当精神鍛えなきゃ生き残れないですよね

とてもうっとおしく、イライラさせるジェンダーやセクシャリティの問題
ここで思い出すとは!考えさせられるとは!

私は作品を創っているとき、作品を出している時は作家なんです
女性性は要らないんです!っていっても見た目は女性
片意地はって作品創りしてる女性作家はおかしいと思う、それじゃぁ頑張りの押し売りだ
また、女性を売りにして作品創ってる女性作家もおかしいと思う、それじゃ中身ないやんね

じゃあどうすればいい
自然体?それなら作家ではあるまい、作家なら考えなきゃ

男性作家も生きて行きにくい世の中、女性作家もまたしかり、、、、、、、、、、

でも結局 自分を導くのは自分のこころだけ
自分がどうしたいのか、明確な目的意識を持って考えなきゃ、ね、行動しなくちゃね
男性も女性も中性も

フィニの本を読んで思いも寄らない感情と出逢いました
出逢った事は考えなければならない問題だったのですね



本、お貸しくださりありがとうございました、無事読み終えました
フィニは人生を読んだ事が無く、勉強になりました
また貴方の感想も聞かせてくださいね


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