教育と愛国 | 映画、その支配の虚しい栄光

映画、その支配の虚しい栄光

または、われわれはなぜ映画館にいるのか。

または、雨降りだからミステリーでも読もうかな、と。

または、人にはそれぞれ言い分があるのです…。

「教育と愛国」というドキュメンタリーも観た。

私は自分が(今で言う)左翼だと思っているし、この映画で描かれる自民党や右翼組織「日本会議」の所業には全く腹が立つのだが、それでもこの映画のありようはドキュメンタリーとしてダメだと思う。

 

慰安婦問題がほぼ中心として描かれるのだが、例えばミキ・デザキの「主戦場」は面白かった。杉田水脈や櫻井よしこらお馴染みの歴史修正主義者の愚かさを、インタビューだけでガンガン暴いていくのだ。映画としてどーこーてより、コスタ=ガブラスの「Z」で検事のジャン・ルイ・トランティニャンが次々と悪い奴をあげていく時のように痛快で、(今で言う)左翼でいっぱいの劇場は笑いで包まれたのだった。

 

ところが「愛国と教育」はつまらない。慰安婦問題と教科書との関係を時制に沿ってわかりやすく描いてくれるのはありがたいが、左翼プロパガンダとしか思えない。

いやプロパガンダですらない。一体これは誰が観るのだろう?歴史修正主義者たちを嘲笑うために観るだけでいいのだろうか。

 

権力に守られた歴史修正主義者たち VS いたいけな学者や教師、という構図、恣意的なモンタージュ、挿入される風景ショットの醜さ。何より「教育」される子供たちの姿が一向に見えてこない。

しかし(今で言う)左翼の集いと化した劇場は、暖かな笑いと閉じた怒りに包まれるのだ。

 

 

これな。

 

 

と書いたところでジャン・ルイ・トランティニャンの訃報が。驚いた。

「月曜ロードショー」で観た「男と女」「殺しが静かにやって来る 」「Z」「狼は天使の匂い」「流れ者」「刑事キャレラ/10+1の追撃」「離愁」「サンチャゴに雨が降る」、

大人になってから「モード家の一夜」「暗殺の森」「日曜日が待ち遠しい!」。

沈着冷静、クール、無色透明、モーゼル、内に秘めた激情の男。

「離愁」のラストショットを思い出し、泣いた。二人とももういない。合掌。