ハングオーバー! | 映画、その支配の虚しい栄光

映画、その支配の虚しい栄光

または、われわれはなぜ映画館にいるのか。

または、雨降りだからミステリーでも読もうかな、と。

または、人にはそれぞれ言い分があるのです…。

「ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」

こネタがいっぱいあるんでちょっと笑った。こきこき赤ちゃんに「おいおい食事中は止めとけ」は可笑しかった。「そこのイケメン前に出ろ、お前じゃねーよデブ」にも笑った。
でも、この映画は「みんなやってるか」や「ケンタッキーフライドムービー」みたいなギャグの羅列映画ではない。ちゃんと語られるべき物語がある。失踪した婚約者はどこに?という求心的な物語がある。
しかしこれらのネタはその場限りでしかない。いや、それが駄目だというわけではなく、それらの羅列により物語が弾んでいったり、盛り上がったりしないから駄目だと。

じゃ、これらのネタはなんで物語を弾ませないのか。

車のトランクを開けると裸の中国人が飛び出してくる。そのアクションが可笑しい。それはわかる。朝起きるとトイレに虎がいた。まぁ面白い。つまり、現実離れした意外性とそれに対する人物のリアクションが可笑しいわけだが、じゃ、その意外性を作り出したものが何かを映画が追求しはじめると途端につまらなくなる。

中国人や虎の存在は単に「酔っぱらってたから」なわけだ。ミステリーとしてもつまらない。シナリオはやるべき仕事をしていない。
また、映画がやるべきは「酔っぱらっ」た状態に観客を巻込むことではないのか。うおおおこいつら虎連れてこうとしてるぜわはははは、と笑わせることであって、虎がいた、うむ面白いで終わらせてしまってどうする。

つまりネタがネタで終わっている。
さらに、例えば窮地に陥った主人公たちはカジノで一山あてようとするのだが、これがあっさりと勝ってしまう。これなないよなと思う。ネタの面白さに映画が負けているというか、ネタが面白けりゃいいんでしょと作者たちが開き直っている。つまらぬ。

唯一、良かったのはヘザー・グラハムのラストの泣き笑いであった。男たちがばか騒ぎしていた間に抱いた彼女の夢や希望を、そしてそれが潰えた悲しみを、この一瞬の表情が示すのだ。この漢な泣き笑いに、登場人物全てが負けていた。