甲子園のアルプススタンドで
ポンポン持って踊ってたわたしは
一度負けたら、それで終わり…な
高校野球にドラマを感じ過ぎて
プロ野球なんて
何回負けてもいいんだもんね←
こんな感想しか持てなかったんだけど。
ヤクルト黄金期
めちゃめちゃプロ野球に…
と言うかヤクルトにハマり
応援グッズで一杯のボストンバッグに
応援用の傘さして
それはそれは頻繁に
神宮球場に通いつめたものです。
その頃の監督が野村監督でした
わたしがファンになった頃には
ちょうど強くなり始めてた時で
日本シリーズも見せて貰えたし
優勝する感動も味わう事が出来た。
東北遠征にまで行っちゃった事もあったな
選手それぞれの応援歌を
応援バットを鳴らしながら
声を枯らして歌ってたら
あの 傘をフリフリ東京音頭
…の応援を考えた
ヤクルトの名物でもあった
私設応援団長の岡田さんから
一緒に応援しようと声を掛けて頂いて
更に応援に熱が入っちゃったり←
…と、岡田さんの話になっちゃったけど💧
たぶんわたしがあんなにまでも
誰かを夢中に応援したのは
それまではもちろん
そして…もしかしたらこれからも
ヤクルトスワローズだけなんじゃないかと思います。
若かったしな←
野村監督がヤクルトの
黄金期を作ってくれたおかげで
このミーハーなわたしがファンになり
大きな楽しみと感動を与えてくれたのも
野村監督のおかげだと思っています。
その頃はよく選手の出待ちもして
特にいい試合だった日なんかは
クラブハウスの前で好きな選手に
声援を送ったりしてたんだけど
何度か一緒に見に行った妹は
一番好きなのが監督だったらしく
姿が見えた瞬間
大きな声で
\のむら~~~♡♡/
と叫んだのも思い出しますがwww
あの時の
監督はどんな反応だったっけ
今度妹に聞いてみようと思います。
沙知代さんが亡くなられた後は
すごく寂しそうな姿を目にし
人からとやかく言われようとなんだろうと
本当に奥さまを愛していらしたんだなと
けれど
また元気な姿も見せて欲しいな…
なんて思っていましたが、、、
急だったので
やっぱり寂しいし
新生、高津ヤクルトの姿も見て欲しかった。
いや、、
でもきっとそれもちゃんと見守ってくれるよね。
本当にお疲れさまでした。
ご冥福をお祈りします。