「あんのこと」(2024/キノフィルムズ)
監督:入江悠
脚本:入江悠
河合優実 佐藤二朗 稲垣吾郎
河井青葉 広岡由里子 早見あかり
おすすめ度…★★☆☆☆ 満足度…★★★☆☆
重い、とにかく重い、でもスクリーンから一時も目が離せない。
事前の本作品に関する情報からある程度覚悟はしていたが、それを遥かに凌駕する救いのない空気感が最後まで根底に横たわっていた気分だ。
まだ人気のない夜明けの商店街を一人歩く杏をカメラが追っていくオープニングシーンは、そのままエンディングシーンに直結していたことを知った時のどうしようもない絶望感。
彼女を救いたいとかそういう希望よりも、彼女はこのまま救われないだろうということに気づかされる瞬間がいくつもある。
それが実話に基づく話だということも最初のクレジットで知らされているので、自分も体験してきたコロナ禍という現実とも相まって、日々の生活のすぐそばにも救いようのないものが当たり前のように転がっていたことを思い出す。
それは自分は運がよかっただけなのか、結局は傍観者として何もできなかっただけなのではないか。
タイトル「あんのこと」はまさにそのままこの作品のすべてを表しているように思う。
観客はスクリーン上の「あんのこと」をただ最後まで見届けるだけ。
その先の救いもなければ、そこに至るまでの安寧の予感もない。
監督を務めた入江悠の脚本はそういう意味では容赦ない。
杏に少しだけ見えた平穏な時間はすぐに瓦解してゆく。
彼女を救おうとした多々羅は強引なまでの手法で、自らが関わる薬物厚生施設の赤羽サルベージに連れていく。
さらに生活のために介護職の仕事を紹介し、杏を食いものにする母親の支配からも引きはがし一人暮らしの居室(シェルター)を与える。
そんな多々羅の活動を取材するジャーナリスト桐野も協力して、杏は更生のための時間を過ごし始める。
小学校すら卒業していない杏は仕事の傍ら夜間学校に通い、世代や国籍を超えた仲間たちと繋がっていく。
しかし桐野の取材から裏の顔が明らかになった多々羅は逮捕され杏との接触から切り離される。
さらにそこにコロナ禍が襲いかかり、有無も言わせぬ現実の前に、杏は再び社会から切り離される対象になってしまう。
そこに縁を切ったはずの母親が杏の居場所を突き止めすべては元の木阿弥…。
思えばすべてが依存しあって生きている現代社会の縮図がここにある。
杏を「ママ」と呼び売春で稼がせる母親との関係性は間違いなく共依存の関係であり、そもそも彼女を救うことで大人のとしての役割を果たした気になっている多々羅しかり、厚生施設の取材にかこつけて彼のスキャンダルを暴く桐野も含めて、結局はみんな杏が背負っている運命に依存しているだけ。
コロナ禍で仕事も失った杏の部屋に突然やってきて幼子を預けて逃げていく若い母親。
託された子供のために必死に母親になろうとする杏だけれど、彼女の母親がそれもすべて奪っていく。
結局は誰かに依存しなければ生きていけない現代社会の中で、コロナ禍という目に見えない巨大ななにものかが、そのすべてを断ち切ってしまったあの数ヵ月間。
この作品の原案となった事件は新聞の三面記事程度の扱いだったと聞く。
多くの著名人も突然この世を去ることになったあの時間の中で、市井の人々もまた様々な人生の局面を迎えていたのは事実。
でも、そこまで思い至る人はいない。
みんな自分のことで目いっぱいだった。
杏をめぐる一連の出来事があまりにも強引につづられていくので、ふと立ち止まって「これって変だぞ?」と気づかされる時間がない。
作品のエンディングを知ったときにようやく自分自身の愚かさにも気づかされる。
勝手に杏の境遇に感情移入して、彼女がきっと救われないだろうことはどこかで意識しながらも、一緒にその人生を応援しているつもりになっていた。
冒頭のシーンに戻ると売春先のホテルで相手が薬物中毒で倒れたことをきっかけに逮捕された杏が警察で刑事の多々羅と出会う。
この時の映像の露出が明らかに変わっていて、佐藤二朗演じる多々羅が出勤する映像などはまるで映写トラブルかと思わせるほど色あせた色調で困惑する。
その後のシーンでは次第に映像の色調が戻ってくるので監督の演出だったことに気づくのだけれど、色のない日常で生きてきた21歳の杏が次第に色のついた人生へ踏み出していくのだという予感があって、そこでまた観る側が意図しない希望を抱いてしまうのだろう。
話題になったテレビドラマ「不適切にもほどがある!」(ふてほど)で若手のブレイク女優となった河合優実だが、実はその前に出演した「PLAN 75」(2022)の予告編でその存在が気になっていながら、作品はそのまま未見で終わってしまったのを後悔していた。
もちろんこの「あんのこと」は「ふてほど」以前の撮影なのだけれど、若干23歳にしてかなりの出演作品を数えていることを知って驚いた。
今後も「ナミビアの砂漠」「八犬伝」と待機作もあり、引き続きジャンルを問わず期待ができそうで楽しみな女優だ。
佐藤二朗は基本いつもの佐藤二朗なのだが、本作ではコメディ要素よりもエキセントリックなキャラクターが際立っていて、前半で一気にその世界観に引っ張られすぎるときついかもしれない。
ジャーナリスト役の稲垣吾郎も最近のドラマ「燕は戻ってこない」や「風よあらしよ 劇場版」と相次いで観ているが、こういう曖昧なスタンスのキャラクターがすっかりはまるようになった。
それと杏を追い詰める鬼母を演じた河井青葉の怪演も忘れてはいけないだろう。
老いた義母とも同居しながら水商売で酔っては男を連れ込む一方で、娘を「ママ」と呼び金を無心する彼女もまた共依存の被害者の一人なのかもしれない。
その祖母を演じたのが広岡由里子と知って、改めて自分も歳をとったなと実感する。
いずれにしてもきちんとスクリーンと対峙する覚悟がいる映画だ。
前橋シネマハウス シアター0